dm10forever

NEO PORTRAITSのdm10foreverのレビュー・感想・評価

NEO PORTRAITS(2023年製作の映画)
4.2
【ムジュン】

Chaooonさん、開明獣さんのレビューに突き動かされて鑑賞。
まるであっという間に世界観に引き込まれてしまう不思議なショートムービー。
前に観た「カランコエの花」のような、とても静かなんだけどずっと心がざわついてくるような不思議な引力がある。
これは短編にしておくのは実に勿体無い出来ではあるけど、ある意味では短編だからこそ余計な雑味を排して端的に表現できたと言える作品なのかもしれない。

子供は大人の矛盾を追及する。
でも、大人は「仕方ないんだよ」といって、子供の目の前で矛盾を容認する。

そんな理屈は子供には通用しない。
何故なら子供は純粋だから。
世間体や上下関係に忖度することなく、純粋に大人の矛盾を追及する。

いつからか、僕は矛盾を容認する側の「大人」になった。
それは子供のころに持っていたはずの「純粋さ」を失ってしまったからなのかもしれない。

矛盾・・・むじゅん・・・無純・・・

「こころって、何処にあるんだろう・・・?」

あれだけ悲しかった出来事ですらも、擬似的に埋め合わせてくれる何かを見つけ、それにすがる大人。
(もう、ここにはいないんだよ)
判然とした事実が目の前にあるのに、そこから目を逸らし、何事もなかったかのように日常に戻っていく大人。
そうでもしないと前に進めないから・・・。

進化したAIアンドロイドは死んだ人の記憶を生前と同じ形で保とうとする。
でも、何処までいっても「本当」はそこにはない。
それは、何処までいっても擬似であって本当ではないから。

≪人は慣れていく・・・やがてあの電子アンドロイドだって平気で人だと思えてくる・・≫

生徒たちの心の中に生きる先生の思い出をかき集めて作った「電子アンドロイド」
それは、あたかも「先生そのもの」のように話しかけてくれる。

でも、どんなに先生に似せて作っても、そこに先生はいない。
直接触れることも、声帯から発せられる声を聞くことも、互いに本の質感を確かめ合うことも、もう叶わない・・・。

目に見えないくらいに微小の世界の中で、膨大な数字と記号と電気信号の羅列によって構成される「こころのようなもの」

AIの技術が進歩すればするほど「人間らしく」なっていく。
そして、同時に人間の手を必要としなくなっていく。
そこで計算によって導き出された「こころのようなもの」をそのものとして無理やり自分を慰めようとすることは大人になるということなんだろうか・・・。
そうやって、受け入れながら慣れていくことが大人になるということなんだろうか・・・。


世の中に溢れかえる「・・・のようなもの」。



「こころって何処にあるんだろう?」
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