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哀れなるものたちのしののレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.1
ここまで性描写が多いのに毛ほどもいやらしくなく、何なら笑えるし高邁ですらあるR18作品というのも珍しい。胎児の脳を死体に移植された主人公なんて、一見かなり奇抜な設定だが、彼女が自らの欲望のまま突き進む「主体」であることから始まり、そこから様々な価値観に触れて、最終的に世界と自分の関わり方を自己決定していくという流れは、人間として本来許されているはずの生そのものだ。

もちろん、彼女の生のあり方はあまりに極端に純化されているので、周囲から化け物と呼ばれたりもするが、本質的には普遍的な寓話だ。分かりやすく主軸に置いているのが主人公の性的主体としてのあり方で、彼女が性的行為をどのように位置付けていくかの変化が、彼女の成長を示すものになっている。

まず、彼女が「自分の体をコントロールする」ことに目覚めるキッカケが肉体的快楽(何をきっかけにモノクロからカラーに変わるかも象徴的)で、旅の初めは食欲やら性欲やらを満たし続けていく。しかしやがて、自身を幸せにするのが肉体的快楽だけではないことを学ぶようになる。そして同時に、他者との関わり合いによる新しい価値観の発見や、世界における自分の位置付けなどを知ることになるのだ。

すると彼女は自身の身体を、単に自身に快楽を与えるためのものでなく、社会のなかに位置付けたり他者と交流したりするためのものとして利用するようになる。成熟の表現だ。ここでさりげなく、自身の思想と社会のあり方が必ずしも一致しないことを、娼館のルールとの対立という形で描写するのがうまい。それは後に、彼女が世界のなかで自分のできることを考えていくという展開に繋がっていく。斯様に各パートが見た目に楽しいだけでなく、非常に有機的に結ばれている。

旅の同行人となるマーク・ラファロも効いている。彼は当初は主人公を良識の檻から解き放つ役だったが、やがて彼女への所有欲が芽生えるとその良識に閉じ込めようとする。この関係性がコメディとして楽しいだけでなく、「主体を認めるとは何か」を考えさせる役にもなっていてまたうまい。彼が主人公をクソ女と詰る可笑しさは堪らないのだが、そんな彼の姿を見ていると、本作が彼女の性的振る舞いを(過剰なまでに)主軸にした理由が見えてくる。つまり、まさに「女がそんなことするな」と言われるであろう最も極端なシチュエーションを用意するためだ。従って本作における娼婦というのも、「主体って本来こういうことでは?」を寓話として描く為の記号的モチーフでしかないように思う。

そう考えると、本作で彼女が最後に行う性的行為とそれを行う流れが序盤と対になるのは綺麗だ。また、クライマックスで彼女が対峙するのがまさに主体を奪う存在であり、彼女を創り上げた本当のフランケンシュタイン博士は誰なのかという「読み替え」が行われていくのも必然に思える。

ここで重要なのは、彼女が最終的に選ぶ「世界と自分の関わり方」が、非常に地に足のついた現実的な着地である点だ。もしかしたら、彼女は旅に出ずにそのまま館にいても、成り行き的に同じ道を選んだかもしれない。もっといえば、彼女があの人に対して行うことは、「結局彼女もゴッドと同じことをしてしまう」という皮肉なオチともいえる。つまり、人間は自由な主体であるとはいえ、環境要因からは逃れられないのだ。そもそもベラ自身が恵まれた人間だし、ゴッドの背中を見て育ったという事実も変えられない。そういう自身を創り上げたものの支配はあるということだ。斯様に、ベラが何かから解放されて良かったね、という話にしないのがランティモス節だと思う。彼女は彼女である種“力”を持ってしまうわけで、彼女も「哀れなるもの」に含まれているという。

では、我々は考えることをやめていいのだろうか? この帰結は、中盤でとある人物が語る「保身のための現実主義」なのだろうか? そうではないだろう。つまり、彼女は自身を世界に関係する主体であるという前提から初めて、そのなかで他者と関わり自身の可能性や限界を把握し、そして世界をより良くするために何ができるか、という決定を下したのだ。だから本作は学ぶ彼女の姿で幕を閉じる。まさにフェミニズムであり、人間が主体的に生きるとは何か? という根源ではないか。

だからあのラストはそう単純じゃなくて、ポジティブさと皮肉が入り混じっている。本作も『バービー』も、結末で「これって男女の立場が反転しただけじゃ?」という皮肉(に見える瞬間)を経由するという点では共通している。ただそこで終わらない。むしろ反転しうるものは本質じゃなくて、重要なのはより良い世界を目指す意志なんじゃないか? と示すための反転なのだと思う。ただ、個人的には『バービー』と比較するならやはり自分は本作を応援したい。笑えたり美術が活きてたりとかもあるのだが、何より「人間が本来持つ主体」というものを、演説ではなく一人の女性の生の変遷によって見せ切っていたのがポイント高い。

あえて言えば、ラストで“真の創造主”に対して行うスカッとジャパン的な仕打ちが、ブラックジョーク的な皮肉にしても主人公が成熟するという結末のトーンにそぐわない気がするが、全体的に大人の寓話として見れるような美術設計にはなっていると思う。むしろ、事あるごとに「これは〇〇ね」と自分の心情変化を理性的に分析する主人公の有様が流石に寓話然としすぎではとすら思う。しかし、ぶっ飛んだ設定で非常に切実なテーマを語る、自分好みの作品だった。全てがうまくっているとは思わないが、アートとエンタメを両立させた映画としての充実度は凄いし、SFの祖を換骨奪胎して面白いフェミニズム映画にしたという意義も含めて、「これがハリウッドの最先端です」と銘打てる作品ではあったと思う。アカデミー作品賞もありうるのではないか。

※感想ラジオ
『哀れなるものたち』はどこが画期的?これはアカデミー作品賞とるかも!【ネタバレ感想】 https://youtu.be/Hint5qHHs1U?si=qzQZAgdkCmMbPJn7
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