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哀れなるものたちのkuuのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.0
『哀れなるものたち』 映倫区分 R18+
原題 Poor Things
製作年 2023年。上映時間 142分。
『女王陛下のお気に入り』のヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンが再びタッグを組み、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を映画化。
プロデューサーも務めるストーンが純粋無垢で自由奔放な主人公ベラを熱演し、天才外科医ゴッドウィンをウィレム・デフォー、弁護士ダンカンをマーク・ラファロが演じる。
トニー・マクナマラが脚本を担当。

不幸な若い女性ベラは自ら命を絶つが、風変わりな天才外科医ゴッドウィン・バクスターによって自らの胎児の脳を移植され、奇跡的に蘇生する。
『世界を自分の目で見たい』という強い欲望にかられた彼女は、放蕩者の弁護士ダンカンに誘われて大陸横断の旅に出る。
大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく。。。

今作品は映像的にも、哲学的にも、フェミニスト的にも個人的には楽しませてくれました。
笑わせ、映画館から出たときも反芻させ、反抗的な思考で満たしてくれ、感想を書いてる今でさえずっと続いてる。
そのシュールで官能的(客観的に見たらですが、個人的にはストーンの裸体に欲情は起こらなかった)でオープン・ワイドな世界に一度でも巻き込まれたら、虜にならないことは不可能かな。
実際、今作品に登場する野郎どもが、型破りなヒロイン、ベラに夢中になるのと同じように。
ホンマにエマ・ストーンが見事に演じていた、一人で持っていった。
ベラはゴドウィン・"ゴッド"・バクスター博士(ウィレム・デフォー)の創造物であり、彼は父親自身の医学実験の傷跡を肉体的にも精神的にも背負っている。
彼がどのようにしてベラにたどり着いたのか、その詳細については割愛します。
彼が教える医学生のほとんどを含め、たいていの人はゴッドの顔を見て笑う。
しかし、ベラはちゃう。
ベラはゴッド博士を愛している。
ゴッドはベラの守護神。
(だけど、これも主観的に見たら、ゴッドからベラへの深い愛情は感じれなかった)。
ゴッドはベラに栄養を与える。
しかし、ある時期、社会的条件や慣習に打ち負かされることのない好奇心旺盛なベラは、ゴッドの家で与えられた限られた範囲を超えて世界を見なければならないと主張する。
いや、例えが微妙。
ダンカン・ウェダーバーン(マーク・ラファロ、実に尊大な姿)という女たらしの悪党がやってきて、ベラをロンドンから連れ出し、ポルトガル、エジプト、そしてついにフランスへと旅立たせる。
ベラの旅は、人生の意味を丹念に解析することに没頭する叙事詩。
彼女の飽くなき、無自覚な食欲が、ゴッドの家を出たいという最初の欲望を促す。
そして、純粋で自由な快楽にどっぷり浸かった彼女の旅が始まるけど、その過程で彼女は不平等や残酷さ、人間の最も卑しい生存本能、自由で美しいものすべてを檻に入れたり破壊しようとする人間の欲望を理解するようになる(自分自身を含めて)。
恐怖や社会的モラルに縛られることなく、ベラは旅の各段階を直感的に、気取らずに、額面どおりに体験する。
彼女は、華麗なまでにフィルターにかけず、縛られない生き方をしており、多くの笑いを誘う場面がある。
例えば、乳児が泣き出した後、彼女はボールルームでさりげなく『あの赤ん坊を殴りに行かなくちゃ』と告げたり。
その後に続くのは、今作品で愉快なシーンでした。 
ベラは、内なる教訓を得るために、他人が否定的あるいはグロテスクと考えるような経験や人物を熱狂的に貪る。
彼女は身の回りで起こっていることを個人的に受け止めることがまったくできないため、卓越した問題解決能力を発揮する。
ある場面じゃ、情熱的な恋人同士のいざこざを、『この会話は回りくどくなっている気がする』とだけ云ってシャットアウトした。
街で "売春婦 "と呼ばれても、『私たちは私たち自身の生産手段なの』と答え、歩き続ける。
その核心は、アメリカの作家・詩人ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『ウォールデン 森の生活』の一節、"I wanted to live deep and suck out all the marrow of life. / わたしは深く生き、人生の精髄を吸収しようと思ったのである"。って言葉と大差はない。
ソローのように、
ベラは
"意図的に生きること、人生の本質的な事実だけを前面に出すこと、そして人生が教えてくれることを学べないかどうか確かめること、そして、死ぬ間際に自分が生きていなかったことを発見しないこと"
を望んでいる。
今作品がそのコンセプトをはるかに超えて優れているのは、その見事な実行力にあるかな。
脚本はまた驚嘆に値した。
ホンでもって衣装は息をのむほど想像力に富んでいたし、セットは芸術そのものであり、クリムトの色彩、サルバドール・ダリのひねくれたウィット、フリーダ・カーロの感受性を思い起こさせ、また、どの時代の、どの場所をえがいてるのか?はたまた、パラレルワールドの世界を覗いてるが如くでした。
結局のとこ、今作品のヴィジョンは、ベラがどの瞬間にどのように世界を見ているのかも反映しているんやろな。
ゴッドの家では、すべてが白黒で魚眼レンズ。
外では、彼女の冒険はハイパーカラーで描かれている。
ゴッドの家で自由に歩き回る奇妙な動物のハイブリッドのように。
人間のエゴに邪魔されることなく人生を歩むことで、ベラは2時間半のエンターテインメントとして見応えがあるだけでなく、熱心に生きるための教訓を与えてくれました。
エンドロールでの数多な芸術のモチーフにリビドーを強く感じました。
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