あさおみ

哀れなるものたちのあさおみのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

およそ尊厳というべきものをことごとく剥奪されてはじまる。胎児の性別が謎のままなのはともかく、その特異な身体性をどう表現のタネにするのかが気になったけど、それよりも天才性に着目するのかーと勝手に思った。もちろん序盤のちぐはぐさが徐々にあたらしい統合を得ていくプロセス自体この物語の軸ではあるんだけど、欲を言えば。風景や舞台を奇妙なエフェクト、CGで戯画化するのはすごく面白くてよかった。ベラの服装もあいまっておとぎ話のようにさえ見える。脳みそビルドゥングスロマン。

以下追記
 パンがないならケーキを、もそうだけど、とりわけ貴族の女性に対して露骨なものとして社会から隔絶させて世間知らずな存在に仕立て上げる構造がある。それは肉体を躍動させるような暴力的な身体性の否定であり、極端な装飾、引きずるほど長い裾、到底走れない高さのヒールなどがその例。否定された身体性は、それが行使されることが”良識的な社会”の範疇で容認されるのはセックスのみであることがこの構造のミソになる。この地に足付かない(というか付かせてもらえない)、抑圧された身体性が無垢さとその少女性あるいはおとぎ話性を規定して、貧民の暮らしを嘆くブッダの四門出遊のようなエピソードも、城や街のCGめいた滑稽みのある風景によって不本意に戯画化されてしまう。途切れた階段で号哭するシーンの滑稽さは少しギョッとした。つまり身体性の否定は同時に善意のあり方すら理想主義的にあらざるを得ないように仕向け、そしてリアリズムを階級的なものに押し込めさえするように描かれている。
 娼館でベラが「女が男を選べばいい」と言ったとき、それを真っ向から否定するのではなく言いくるめによって受け流されてそのまま、貴族?の出自のおかげでそこを脱してトキシックな暴力性に優越する力で悠々と過ごすラストを迎える。このことには階級闘争的な視点ではまったく釈然としないけれど、それ自体不合理だとまでは思えない。
 構造的な不自由をはねのけて理想を得る物語は、非現実的な要素があってこそのストーリーである場合あたかも現実には決してありえないかのように思わせることがある。持って生まれた地位と偶然によって親と子、産むこと産まれることの関係すら超越した存在として幸せなラストを迎える結末を、戯画化せずにはいられなかったのは、それはそれで翻ってある種の誠実さなのかもしれないとも思った。
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