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哀れなるものたちのVisorRobotのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

フォーラム仙台で見た。夜の回。公開日。結構人が入っていた。フォーラムのシステム障害でwebチケットが発見できず窓口でやってもらった。夜の回だった。

ヨルゴス・ランティモスは『女王陛下のお気に入り』だけ見たことがあった。なかなかおもしろかった。あれもエマ・ストーンが出ていた。ランティモスの次回作にもエマ・ストーンが出るらしい。

エマ・ストーンというと、『スーパーバッド・童貞ウォーズ』を見て以来、童貞のマドンナとして出てくるおぼこい若い女の子というイメージなので、それが今や素っ裸で「熱烈ジャンプ」してるよ、と感慨を禁じ得ない。もちろん、『ラ・ラ・ランド』のイメージもある。

『女王陛下のお気に入り』くらい面白かったが、『女王陛下のお気に入り』のほうが俺の評価ではちょっと上。でも『荘苑』のグラビアページみたいな美術とかワイドカメラ(魚眼レンズかと思ったらそうではないようだ)とか、目に楽しい・モダンなのはこちらが上かも。こちらのほうがわかりやすくて、『エブエブ』を見た時の感覚に近い。目に楽しく一見カオスだが、ストーリーラインとメッセージは意外とわかりやすい。それが今のアカデミー賞の新トレンドなのかもしれない。

不満を持ったのは「母の問題のスルー」である。クリトリスの切除を夫にさせられそうになった主人公が身投げし、ブラックジャック的な手法で胎児の脳を得て復活(?)。股座に幸せの源を見出し、ジョン・ドヴァンニめいた伊達男と旅に出て、彼を次第に凌駕し、性の館を満喫し、ついに支配者となるというのは、「女性による性の喜びの肯定」「Wiredであることの肯定」というテーマをわかりやすく提示する。

ここで気になったのはダンカンと伯爵、ほとんど同じ役割じゃない?というものだ。当初は「私に恋しないほうがいい」というなど割り切った伊達男としてのダンカンと、彼との冒険に自覚的に歩みだすベラという構図はユニークだったが、結局ダンカンがベラに執着してしまってからは、女を束縛する男・支配的な男の類型でしかないというか…伯爵がラスボスとして弱すぎる。

「娼婦になっても君は魅力的だ」と話すグッドガイマックスと結婚して終わりかよーと、思っていたら伯爵が登場して、「まあそんな都合の良い結論にはならんよな」と、ラスボス登場を歓迎したら、、

めちゃ弱かった。

ラスボスは母であってほしかったと思うのは、女に責任転嫁したい男の無意識の願望なのだろうか。

娘の性としての自立を縛り付けるのは父でもあるが母でもあると思うし、ある程度仕組みが明らかにされてきた父の仕組み(父権主義)に対し、母というのはなかなか御しがたいラスボスではないかと思うのだ。

あるいはもっと強固で、直接的な格闘ではとても倒せないような「父」を描くか。

そこと格闘してくれないのは結構肩透かしで、一応母が登場し、人間になるという選択にまで踏み込んだ『バービー』のほうが同じフェミニズムをテーマとしたものでも先を言ってるのではないかなと思う

とはいえ、女性というのを取っ払って、「支配」から解き放たれるおとぎ話だとすると、まあこんなもんかも、と『銀幕にポップコーン』の感想を聞いて思った。
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