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哀れなるものたちのvioletのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.5

ヨルゴスランティモスのアート観と、エマストーンの怪演に度肝を抜かれ、なんだか全身のエネルギーを吸い取られたような気分。ひたすらに独特で悪趣味なんだけれども、悔しいほどに考えさせられる。自分の倫理観や価値観が揺さぶられ、世界の見方を見直すきっかけになった。

「支配していた側が支配される側に回り、支配されていた側が支配する側に回る」というのは、ランティモス作品における共通テーマであるような気がする。

↓以下ひとりごと

バイアスや社会規範を兼ね備えていないベラが冒険する世界は下劣で浅ましく、そして危険でいっぱい。そんな現実世界に大した疑問も持たず、呑気に暮らしているのが鑑賞者である私たちである。無知から来るベラの非常識な態度に、しばしば鋭く釘を刺された。幼い子どもが大人に鋭い質問を投げかけてくるといった感覚と似ている。

常識や伝統というのは、もちろん必要ではあるけれども、同時に危険性も伴っていると思うんだ。「なにかおかしくないか?」と気づき、さらに誰かが勇気をもって変革に向かわない限り、物事は知らぬ間に悪化の一途を辿っていくから。
元来常識というものを持ち合わせていないベラには、"気づき"のプロセスが一切不要であり、常軌を逸しているからこそ、あらゆる不条理なことに臆せず立ち向かうことができる。ベラという人間は、生まれるべくして生まれ、生き残るべくして生き残ったのだと思った。

フェミニズムは一筋縄ではいかない概念だし、考えれば考えるほど分からなくなる。男女のパワーバランスを均衡にしようとしても、まるで上手くいかない。そんな状況を打破するべくフェミニスト達が声を張り上げれば、さらに男女の対立が深まる。
こんな堂々巡りの議論に嫌気が差している私は、ラストの衝撃的な画に対して妙なカタルシスを覚えた。あれはユートピアに見せかけたディストピア、幸福に見せかけた不幸なのだと思う。

たとえ男女の立場が交代しても、哀れなるものは哀れなるもののまま。今後世界がどのように変容しようとも、人間はみな哀れで救いようのないほど醜い生き物。

ありえないほどの理想郷を突きつけられ、自分の生きる現実世界と比べたときに現れる、とんでもなく大きな乖離に絶望した。私たちのほとんどは、そんなどうしようもないこの現実を丸ごと受け入れるしかないほど無力なんだ。

『バービー』に近いテーマを感じた。バービーもベラも、純粋かつナイーブで、自らのアイデンティティーが発展途上にあるキャラクター。私たちが当たり前だと信じてやまない現実世界に放り込まれた彼女たちは、ただ生きづらさを嘆く。そしてそれは鑑賞者たちにとっての"正しさ"を真っ向から壊しにかかってきた。

本作の方がよりシビアで現実的。理想を追いたい気持ちが失せて、生きる希望がまるで湧いてこない終わり方だった。ベラは本当にあれで幸せなのか? 私には惨めで哀れな人間にしか見えなかったんだが、きっとそうなんだろう。
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