この映画は…なんと言ったらいいのか、
カオティックな世界が本能的にどこかうすら怖くて気持ち悪くて、理性ではなにも理解すまいと心を握りしめながら見た。
『ブリキの太鼓』を思い出させる、理性で理解できないもの。見ながら徐々に慣れるけども、心のどこかで迫り来る気持ち悪さを捨てておかないと見続けられない気がして、わたしも社会秩序と理性にきちんと埋もれた人間なんだなあ、とふわりと思った。
マッドサイエンティストが胎児の脳を自殺した母親の脳に移植して蘇生させ、女性としてゼロから育てたベラ。
人間として、ではなく女性として育てられている、と感じたところが面白い。
服装が前衛的ファンタジー衣装でありながらずっと女性っぽいからかなあ。
欲望のままイドから生まれて、冒険をしながら自我を獲得していくベラは社会的な、理性的なアレコレを完全に逸脱しているのに、なぜかだんだんと惹き込まれる。
一向に超自我との葛藤が欠如したまま、けれど貧困に激しく動揺して悲しみ、Poorなものに触れて堕ちて学び、人間として進歩しようとする姿になぜか納得させられてしまう。変なんだけど。
ベラは女性としてではなく
自分が女性であることを理解しながらも人間として"進歩"しようとしていたように思う。
でも彼女は常々所有から逃れないといけないんだな。自らの意思で選んで立つことを阻止してくる父性愛から、性的愛から、単純な暴力から。
ベラが女性であること、演じたエマ・ストーンが素晴らしいこと、そして最後の結末までを見て、なんだかなぜかわからないけどとにかく納得した。ああ、よかったとか思った。こんなカオティックな映画を見ているのに。
くそみたいなDV男はヤギの脳でも突っ込んでおけばいい。
動物以下の人間は動物に"進歩"させればいい。
不思議な映画だ。
もしわたしに超自我が欠如していても
人として生まれたからには
貧困には慈しみを、自分を貶める行為には怒りと抵抗を持つことができたかなあ。
人間とはなんだ。
とか、ポツポツ考えてしまいそう。