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哀れなるものたちのAPlaceInTheSunのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.4
【あらすじ】
不遇な状況に絶望した女性ベラは身篭ったまま命を絶つが、風変わりな天才外科医ゴッドウィン・バクスターによって自らの胎児の脳を移植され、奇跡的に蘇生する。「世界を自分の目で見たい」という強い欲望にかられた彼女は、放蕩者の弁護士ダンカンに誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく。

【感想】
フランケンシュタインのように顔中が縫跡だらけのゴッドウィン(ウィレム・デフォー)は、マッドサイエンティストで、観察したいおいう目的でベラを電気ショックで蘇生させる。
フランケンシュタインが自らの娘を人造人間として誕生させる、という捻れた構造。
この通り、ゴッドウィンは父性を担っているが同時にその名前からゴッドと呼ばれていて、ベラを誕生させた創造主を匂わせる役割でもある。

本作、『哀れなるものたち』は昨年公開された『バービー』と共通する点が多いが、


ヨルゴス・ランティモスの過去作でこれまで幾度も語られた、束縛される女性ベラが主人公。

ベラは最初は創造主であるゴッドから、家の外に出ないよう決められている。しかしベラの好奇心は止まるところを知らず、ダンカンの誘いに乗り外の世界に飛び出す事になる。
冒頭のカラーパートから先、この映画はモノクロで語られていたが、ある日、ベラが自分の手で性的快感を得る部分を見つける。『自分で幸せになる方法を見つけた!』という言い方がとても印象的だ。

かように、本作はベラが好奇心のままにこの世界のあらゆる事象に遭遇していく物語である。モチーフとして性、特に女性として自分の性とどう向き合い、どのよう対処し自己決定権を獲得するかを主軸に描く。

ベラは家の外を出てリスボン、アレクサンドリア、(豪華客船を挟み)パリそしてまたロンドンと各都市を旅するが、どの街の風景も、独創的なファンタジー世界で目を奪われる。中世のようでもあるが、未来のようでもあり、どれもがカラフルで飛び出す絵本をめくるような楽しさがある。
このファンシーな世界に、ある種、露悪的とも言えるような露骨な性描写やグロ描写(そんなにキツくはない)を盛りこむのがヨルゴス・ランティモスらしい。

ベラを連れ出す事に成功したダンカンは、当初は目論見通りに誰にも邪魔されないベラとのセックスライフを謳歌する。しかし、ベラが性的快楽より知的好奇心の方が強くなると、2人の関係性が変容する。
街に出て、目に映る全てのものから刺激を受けるベラ、路上で演奏するミュージシャンの音楽に聞き入る姿が感動的。そして船上で出会ったマーサという年輩女性との出会いが決定的だった。彼女は読書の楽しさ、本から知識を得る事の重要性を説く。
ここでのダンカンの振る舞いが面白い。初めは束縛されたベラを解放するリベラルな立場だった彼は、あくまで自分が想定する範囲の中での自由の中にベラを置いておきたかったようで、自分の範疇を超えていこうとするベラを縛ろうとする。船上のデッキから本を捨てる場面は象徴的。ここで捨てられる度に新たに本を手渡すマーサを、ハンナ・シグラが演じているのが示唆的だ。
70年代から女性を描いた映画を作り続け近年、再評価されつつある、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。そのファスビンダー作品のミューズとも言えるのがハンナ・シグラで、個人的には昨年、『マリア・ブラウンの結婚』を劇場鑑賞し、ハンナ・シグラ演じる主人公が戦前〜戦中〜戦後の激動のドイツを力強くしたたかに生き抜く姿に感銘を受けた。この『哀れなるものたち』でベラに生きる上での一つの指針を与える重要な役に彼女をキャストした事に溜飲が下がる。

〈父性的なる者〉に家にいるよう縛られ、外に出たら次に〈彼氏的な男性〉に縛られるベラは、さらに「良識ある社会」に言動を制限されようとする。
容姿端麗・健康体な大人の女性の肉体を持ちながら、未だ精神的には成長段階のベラが「王様は裸だ」とばかりに世間の欺瞞を暴くのが痛快だ。

この痛快さ。『哀れなるものたち』は、ここまで書いて来たようにビジュアル面として凝りに凝った芸術的かつギミックたっぷりに楽しませてくれ、そのメッセージはこれまでのヨルゴスランティモス作品で比較的わかりやすく痛快だ。

ギリシアから出てきた圧倒的個性を持った映画作家からこれまでに評価を高め、前作『女王陛下のお気に入り』ではアカデミー賞10ノミネート、満を持して製作した本作がこの間口の広い傑作だったことが素晴らしい。勝ち得たビッグバジェットを壮大なセットにかけて見事にこの世界を作り上げた。

(パリでの娼館やセックスワークについては後ほど書くとして、、、
 〈男性を女性が選ぶ〉という改革は実現できなかったが、相手にする男性客と対峙する際に〈クイズを出してコミュニケーションをとる〉という方策が独創的で良かった。これもある種、性の主導権を握る、自己決定権にたどり着くための工夫と理解した)

世界への旅から戻り、ベラは〈新しい自分とクリトリスを大切にする〉と意見表明する。
ここで守るべきは、〈性器全般〉でもなく生殖機能を有する〈子宮〉でもない。クリトリスは性的快楽を司る重要な部位だ、女性である自己のsexや性的快楽は主体的に選択し行使するという力強いフェミニズム的意見表明だ。そう今作はフェミニズム的メッセージに貫かれた、自己発見の物語。

【追記 ラストについての考察/
ヨルゴス・ランティモス的人間観とハリウッドメジャー映画的モラリティのバランス】
正直いうと嫌いなラスト。
大佐への仕打ちにはギョッとした。端的に言って恐ろしかった。この物語が基本ファンタジーかつブラックコメディということを差し引いたとしても。

人間は哀れなるもので、ダメな奴は脳を入れ替えない矯正できないってことか。

あれだと単純な、復讐譚に矮小化されない?
悪人には外科的、かつ懲罰的な矯正を施すというオチでは結局、ベラが権力構造の上に来るだけで、この物語は露悪的ながらももっと崇高なものを目指したのでは?
などと頭を抱えたのであった。

このラストの、突き放したような人間への視点は過去作を踏まえると非常にヨルゴス・ランティモス的だと感じる。
本作が過去作に比べ、ハリウッドメジャー大作的な(R18ではあるが)キャッチーさ、陰陽で言う陽的な要素を持ち得ているのは主演のみならず企製作にも加わったエマ・ストーンの影響があると言われている。2つの要素が絶妙に
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