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哀れなるものたちのJFQのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

”ランティモス監督流”の「ぶっとんだ設定」や「アートな画作り」はここでも健在。今回もインパクト大。けれど、同時に、何というか「淡白さ」を感じたことも事実で。

いや、「何が淡白か!」「エマ様は熱演にして濃厚ではないか!」と叱られそうだが、世の中には「いっぱい見すぎるとありがたみが減る現象」というものもあって(笑)(贅沢で申し訳ないことですが、、)

さておき。この「淡白さ」の根源は「進化」というテーマを選んだことにあるんじゃないかと思った。

いや、「進化」というテーマを選んだことで、ランティモス作品の世界観自体も進化していると思う。これは、いいことなんだろう。そのことを示すため、しばし「ランティモス論」を書く。

監督の他の代表作と同様、作品の世界観を支える「道具立て」自体は、本作もそんなに変わっていない。そこには「ルール」があり「(脱走する)意思」があり「性や愛」があり「動物」がいる。
これは「ロブスター」にせよ「聖なる鹿殺し」にせよ「女王陛下のお気に入り」にせよ「哀れなるものたち」にせよ、さほどかわらない。

で。これらを通じて何を描こうとしてきたかといえば「法(ルール)と意思」というテーマになるかと思う。

我々は通常、「意思があるからルールがある」と考える。それぞれがそれぞれの意思で動くと、意思の衝突が起きるので、(それを避けるため)ルールができるのだと。

けれど、監督作品はそうなっていない。最初に「ルール」が決められ、その後に「逃げたい!」という「意思」が沸き上がる。逆にルールが決まらない場所では、登場人物は何だか「ぼんやり」としている。意思が薄弱になっている。つまりは「ルールがあるから意思がある」という世界観になっている。

また、このことで「ルールの不条理さ、不気味さ」が際立つようにもなっている。なぜといって、ここではルールは「意思と意思を調整するため(人々の快適さのため)」に作られている”わけではない”からだ。
ルールは「なんか知らんけど作られる」。もしくは「個人的怨念により作られる」。だから不条理で不気味なのだった。

たとえば「ロブスター」には「45日以内に結婚できなければ動物にされる」という不条理なルールを敷く謎の組織が登場する。けれど、主人公を含め、組織に加入する登場人物たちは誰も「そんなルールおかしいやろ!」とはツッこまない。加入してしばらくするうち「俺、無理そうだな、、逃げてえな」という意思が沸いてくるという展開になっている。。

また「聖なる鹿殺し」には主人公の医者一家に突然やってきて不条理なルールを主張する少年が登場する。曰く「僕の父を医療過誤で死なせたのだから、あんたの家族も1人殺してもらう!さもなければ家族全員が死ぬ!」と。そしてここでも、ルール自体へのツッコミよりも、「何とか避けたい」ともがく医師パパの意思が厚く描かれることとなる。

逆に「女王陛下のお気に入り」では、「ルールを作る側」、「私が国家よ!」と叫ぶ女王陛下(と側近達)の生活が描かれるが、そこでの陛下は終始「ぼんやり」している。そのため、「戦争は継続すべき!」「増税すべき!」などのルールを側近(レイチェル・ワイズ)に決めてもらわねば、にっちもさっちもいかないし、いろいろあって、側近が追放されてしまうと、元の「ぼんやりさん」に戻ってしまい途方に暮れるしかないのだった…(女王の「ぼんやり顔」を映し映画は終わる)。

そして、こうした大枠のもと、(脱走・脱出の)意思を加速させる要素となる「性や愛」が描かれ、また、「ルールと意思をめぐるゴタゴタ」の「外側」にいる存在として「動物」が描かれる。

なお、この「動物」は「人間たちの世界に参加できていない」という意味では「哀れ」ではあるが、「ルールと意思をめぐるゴタゴタから解放される」という意味では「羨ましく」もある。そういう「両義的」な存在として描かれる。

ランティモス作品は、そんな独特の世界観(「ルールがあるから意思がある」)で、我々の世界観(「意思があるからルールがある」)に揺さぶりをかけてくる。この奇抜な発想から生まれる奇抜な世界観が、世界的人気の秘訣なんだろうと思う。

また「ルールは我々の快適な暮らしのためにある」という「常識」の「うさんくささ」に迫っている感じがするため、「ぶっとんでて分からんけど、なんか引き込まれる」のだろうと思う。

けれど、これは考えようによっては「不気味なルール」を肯定することにもなりかねないのであって。何というか「パワハラ的なしごきがあったからこそ、ナニくそ!という意思が生まれ、成長できたんじゃないか!」「だから不気味なルールがあってよかったじゃん!」みたいな発想にも思える。

ただ、そんなことでは、昨今の「ポリコレ路線(マイノリティ&ジェンダー配慮路線)」のアカデミー賞で高い点は取れない、、と考えたかどうかはさておき(笑)、その問題の解決をはかったのが本作だったのではないか。

ザッと本作のあらすじまとめておけば。
作品の主人公は「大人の体」に「子供の脳」を埋め込まれた「人造人間」(エマ・ストーン)。「父」となるフランケンシュタインのような顔の博士(ウィレム・デフォー)により作り出された改造女子だ(後に、自殺を計った妊娠中の女性から胎児を取り出し脳を移植されたと判明)。

改造女子の知能は「幼児程度」。そのため「父」は「勝手に外に出るな!」と言いつけてあったが、そこに、ドンファンのような「性欲おじさん」(マーク・ラファロ)が現れ、一緒に「外の世界をみよう」とそそのかす。

すると、改造女子は、誘いに乗って「外の世界をみる旅」へ。
だが、旅の途中「冒険心に満ちた大人の男」にみえた「性欲おじさん」も、次第に「所有欲の強い心の狭い男」だと分かって来る。そして最終的には、娼婦になって男を知りたいと言う改造女子に「そんなところには行くな!」と、悪態をついて去っていく。

また、船内では「リベラルそうな黒人男性」に出会うが、彼もまた「寛容にみえて狭量」。船外から見える貧民たちの窮状をみて「助けたい」と思う改造女子に、「ここから先にいっちゃだめだ!」と「現実主義」を説教する。

こんなふうにして、世界を知れば知るにつけ、男を知れば知るにつけ、世は不条理に満ちていると分かって来る改造女子。そんな彼女は、長い旅路の末、ある結論に達していく…という展開になっている。

映画は、「ここから先へは行くな!」という「ルール」を課す男が現われると、主人公に「行きたい!」という「意思」が沸き上がり、その先に進むと、また「ここから先へは行くな!」と「ルール」を課す男が現れ……の繰り返しで進んでいく。「ルールがあるから意思がある」のモチーフがここでも描かれる。

そこに、「意思」を加速する「性愛」の要素が盛り込まれる。つまりは「娼婦エマ様パート」のことだ。そこでは、主人公は、男と交われば交わるほどに、男とはどんなもので社会のどんな位置にいて、女とはどんなもので社会のどんな位置にいて…という理解を深めていく。そして、それに伴って「社会を先に進めよう」という主人公の意思が増幅されていくのだった。

こうして主人公は、「世界を進化させるべし」という結論に至る。つまり「沸き上がった意思」により「世のルールを変える」という発想に至るのだった。

ここにおいて、「ルールがあるから意思がある」という世界観と「不条理なルールを擁護しない」という価値観の共存が果たされる。そして「アカデミー賞陣営も納得」の世界観が誕生する(笑)
先に「進化」と書いたが、言いたかったのはこういうことだ。

ただ。そのことで、「不条理なルール」にツッコミなく翻弄されるという”あの独特の不気味さ”、あえていえばランティモス作品の「魅力」が削がれてしまったんじゃないか?とも思う。冒頭に「淡白に感じる」と書いたのは、そのためだった。

いや、今「不気味さが削がれた」と書いた。だが、実は、別の形で不気味さが増幅した(してしまった?)とも思っている。

何を言っているかといえば、本作の「動物」の扱いのことで。映画のラスト、主人公は「自殺した妊婦の”夫”」と対峙する。そして、口論の末、「進化」の阻害要因だと思われた夫は、脳を摘出され、ヤギに埋め込まれてしまう。主人公宅の庭を歩きながら草を食う男の姿がなんとも間抜けに描かれていて笑いを誘う。

けれど、笑いと同時に「うすら寒さ」を感じてしまったこともまた事実であって。これは、言ってしまえば「ロブスター」における「結婚できない奴は動物に変えてしまう謎の組織」とそう変わらんのではないかと。あの「不気味な組織」と同じことをしてしまっているんじゃないかと。

ようは「進化」についていけない考えのヤツは「人間界から排除」だと。もはや「哀れまれるものたち」ですらないのだと。そうなっていないか?

なんというか発想的に、スターリン時代のソ連の「粛清」や、連合赤軍の「総括」に近いものになっているんじゃないかと(娼館で知り合った黒人女性が主人公を連れていったのは社会主義者の集会であった)。

「進化」というテーマを導入したことで作品の95%から「不気味」さは消え「アカデミー賞陣営」が評価する作品とはなったものの、そのことで、ラストの5%に「別の不気味さ」が残ってしまったのではないか?

世界には救うべき「哀れなるものたち」がいる。だから「世界を進化させねばならない」。この発想は、「世界の進化を止めるものは哀れまなくてもいい」という発想を裏面にもってしまう。そのことが、図らずも?描かれてしまったのかもしれない、と。
このことを、どう考えたらいいのか?なんてことも思った。

(「最後のひと笑い」として描いたことにそんな絡むなよ!という話かもしれないが、、笑)
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