このレビューはネタバレを含みます
これまでの監督作品のほうが、圧倒的に好きだしいい映画だと思う。
何より、テーマが凡庸に感じた。
脳を入れ替えられて、乳幼児の知能しかない女性が少しづつ成長しながら、マッドサイエンティスト、父の手を離れ、旅立ち、世界を見て,学び、世の中を知っていく。
そして,最後には帰ってきて、自分の場所を見つける。
そんな話なんだなと理解していて、まあこんな感じで、監督もわかりやすくしたのかな、原作ものだしなと思っていた。
しかし、どうもタイトルがひっかかる。哀れなるものたち、poor thingsとは誰なのか。
そして、何度も使われる世界が歪んだようなワイドレンズ、覗き穴のようなカメラワークは、一体なんだったのか。
そんなことを考えていると、最初に主人公が外出した時にカエルを殺したところを思い出す。
そして、最後は将軍の命を救うことも。ただし、ヤギの脳みそと入れ替えるという悪事つきだが。
彼女はずっと、世界の常識に慣れずにいた。だから、興味の赴くままに小動物をころしたり、皿を割ったり、笑ったり、性の快楽を楽しんだりした。
そして、徐々に良識のある社会というものを学ぶにつれ、女性はそう言った衝動を抑えていく。
しかし、この良識ある社会に馴染んだ結末が、人間の頭をヤギの頭と入れ替えることだとしたら、つまり、父親の行為を模倣するだけの存在になるのだとしたら、なんと哀れなことだろうか。
私たちは、世界を学びながらいつしか最初に与えられた箱に収まり、そして、模倣してしまい、社会を良くすることも、破壊することも、飛び出すこともなくなり、ただ、庭で優雅にお酒を楽しむだけになってしまう。
そして,それを良識のある社会と呼んでしまう。
これこそが哀れなるものたちであり、つまり、現代社会に慣らされている私たちのことを監督はあわれであり、poorだと言っているのかもしれない。