幽斎

名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊の幽斎のレビュー・感想・評価

4.0
【幽斎的2023ベストムービー、スリラー部門第10位】
恒例のシリーズ時系列Kenneth Branagh版
2017年 3.4 Murder on the Orient Express オリエント急行殺人事件、レビュー済
2022年 3.6 Death on the Nile ナイル殺人事件、レビュー済
2023年 4.0 A Haunting in Venice 名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊、本作

私は小学生の頃からミステリが大好きで、将来は作家志望だった。大学生の時に短編小説を書いて、出版社から賞を貰いテレビドラマ化もされた。詳しくはレビュー済「ライク・ア・キラー 妻を殺したかった男」へ。私の推理小説の師匠はクイーン・オブ・ミステリAgatha Christie、本作の原作者。MOVIX京都で鑑賞。

なぜChristieが世界中の人に愛されるか?、身も蓋も無い事を言えば初心者にも分かり易いから。彼女とEllery Queen、Dickson Carrがミステリ3強で異論無いが、彼女のストーリーテリングの巧さ、読者にページを閉じる事を忘れさせる物語への吸引力。イギリス文学の格調高い文法、気高さに溢れた様式美が加味され、最後の1ページまで飽きさせないセンテンスは、次世代の読者も魅了して止まないだろう。御多分に漏れず京都も書店の閉店ラッシュが止まらない。しかし、本がオワコンに為る事は絶対に在り得ない。

私のFavoriteは「And Then There Were None」そして誰もいなくなった。此の作品もアメリカやフランス、日本も公式に製作してるが、ハッキリ言って面白くない。ミステリがイギリスに限るのは、起承転結を何より大事にする国民性の表れ。私がFilmarksで唯一ドラマのレビューを書いてるBBC制作「そして誰もいなくなった」映画顔負けのクオリティ。1時間×3エピソードだが、アマプラ会員で今なら0円でご覧頂けるので今直ぐGO!、コメントもお待ちしてます。
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Sir Kenneth Branagh監督に想定外の事態が訪れる。背中を押してくれた20世紀フォックスが「消滅」。独占禁止法も辞さない覚悟でディズニーが買収。ナイルが時を移さずDisney+で配信された事に驚かれた方も多いだろう。実はミステリ映画は劇場だけでは殆ど儲からない宿命。異国情緒溢れるロケーション、豪華な衣装に見た事も無い調度品。国際色豊かなキャスト。全て叶うのは「007」シリーズだけ?。オリエントは監督の人脈を生かしスターが集結したが、ロケに予算が回せずフォックスお得意のVFXで何とか凌いだ。

興業収支はトントンもフォックスは織り込み済み「ドーン!とヤレば良いんだよ」太っ腹を見せた。監督も自ら出資してるので、赤字に為らなきゃ良いんだよ的なドンぶり勘定も、流石にディズニーが監視するナイルもロケに予算が回せず、異国情緒は感じられず興業的にも赤字。フォックスが消滅して「20世紀スタジオ」名が変わり、次回こそ黒字化する様にとディズニーに叱られた。予定されたChristieの代表作「ABC殺人事件」企画はボツ。ロケを限定してヴェネツィアの洋館を舞台にするクローズド・サークルに決まる。渋いディズニーの性で本作は豪華スター共演には程遠いキャスト。

原作「Hallowe'en Party」早川書房、クリスティ文庫。久し振りのHercule Poirotの帰還も、相棒Arthur Hastingsは登場しない。代わりは「マギンティ夫人は死んだ」バート・スペンス元警視。作品的には非常に小粒、箸休め的な事件に過ぎない。Christieが好む童話的ムードで支配するが、児童書が有る位に難解の欠片も無い。「名探偵ポワロ」既に映像化されたが、Poirotに次ぐ人気のMiss Jane Marpleシリーズに作風も近い。Poirotをコンピュータに例える通り、Christie晩年の作風も感じる。

原作は架空の村の「リンゴの木荘」。地元の有力者の邸で「リンゴ食い競争」余興が続くが、少女が姿を消しリンゴを浮かべたバケツで溺死する。本作だけご覧の方は唐突に林檎が登場するので不思議に思ったろう。なぜハロウィーンかと言えば、本来ケルト民族が発祥のイギリス由来で逆輸入。アメリカ版ハロウィーンを取り入れカボチャを並べる事へのChristieの風刺が冴え渡る。Poirotをオリエントとは真逆にJohnny Deppが演じたら、本作の興業は上向くだろうが、今回も監督が演じる事でコスト削減、何か切ない(笑)。

長い前置き、大変失礼しました。ソレでは時間に成りましたので魅惑のヴェネツィアを舞台に繰り広げられる華麗なミステリの世界へ。黒いゴンドラに乗り貴方を水の都の迷宮へとお連れ致します。

【ネタバレ】物語の核心に触れる考察へ移ります。自己責任でご覧下さい【閲覧注意!】

本作のマクガフィンは「ペスト」です。「はぁ?」とか「えっ?」と思われた方、何も見てなかったに等しい、とPoirotなら言うでしょう(笑)。冒頭で説明が有った事を見逃がす様では探偵失格。影絵で伝染病と語られるが、ドイツ語「Pest」は日本では英語Black Deathに倣い黒死病と言う。ペストはイタリアのシシリー島で発生。僅か3年で北極圏に到達、ヨーロッパ全人口の約半分が死亡した未曾有の疫病。ノーベル賞の北里柴三郎が第一人者。最新のゲノム解析ではエボラと同じウイルス性出血熱、現在でも死滅した訳では無い。

イタリアの名匠Luchino Visconti監督の代表作「ベニスに死す」、コレラとして語られるが、死臭漂うベニスを徘徊する物語は現在の様にワクチンが有る訳でも無く、ペストと同じく医学は全くの無力で為す術が有りません。夥しい死者を出した片鱗をPoirotも見る訳で、終息しないCOVIDとも符合しますが、本作も人間の心理的な弱さ、闇が織り成す釣瓶落としの負の連鎖が招いた事件とも言える。

原作のハロウィーンを降霊会に改変したのも、当時のペストの様に解明されない怪異に置き変え、科学で説明の付かないモノは絶対に信じないPoirotと対決させる事で事件の謎を解き明かす、割と良く出来たアイデア(上から目線(笑)。Poirotの設定も意味深で探偵としては引退。「オリエント急行の殺人」「ナイルに死す」立て続けに人間の業を嫌と言う程、見せ付けられては休みたくも為りますよね。Poirotの様に理屈で看破する灰色の脳細胞は正直、疲れます。心が折れた双極性障害を疑う仕草も窺える。

プロットを降霊会に置き換えた事でミステリと言うよりオカルトな舞台設定と、サイコ・スリラーの雰囲気も漂わせる。劇場で観乍ら上手いなと思ったのは監督と「ベルファスト」コンビを組んだHaris Zambarloukosの撮影。本作の舞台はPalazzo、貴族の宮殿と言う意味ですが外観も夜のシーンで掴み難いが、室内をマクロ的に映すシーンはほゞ有りません。観客は全体像が分り難く、キャストの視界しか情報が無い為、余計に心理的な圧迫、ソレが心霊へと結び付く技法はお見事。俳優の肩にGoProでも付けてるかの如く、近視眼的なアプローチが謎解きと交わる演出。正に金が無いなら知恵を出せの良いお手本(笑)。

イタリアが舞台だけにナチスが登場すると思ったらJamie Dornan演じるDr. Ferrierは台詞を聞いてないと分り難いが、ナチスの強制収容所ベルゲン・ベルゼンに居たとPoirotとは違う心の傷を負い、と言うのがミスリードだと思ったら案の定。彼の息子を演じたJude Hillが、オスカー女優の称号を得たMichelle Yeohより印象的(笑)、Poirotが子供と触れ合うシーンも珍しいが「ベルファスト」観た方なら、意味はお判りでしょう。

監督の凄みを感じたのはRoma、一般的にはジプシーと呼ばれる少数民族。古くから差別用語にも使われたロマは日本では全く馴染みが無いので分からないと思うが、ウクライナ侵攻を受けて多くの難民が押し寄せるが、国籍の無い遊牧民のロマと言うだけで門前払い。ベルファスト出身の監督が取り上げた意味とは、北アイルランドもイギリスから見れば3%しか居ない民族、ウクライナを追われた彼らに空想の世界だけでも希望の光を与えたラストは、シェークスピアの悲劇を誰よりも知る、監督らしい気遣いも感じた。

フォックスと言う後ろ盾を失った監督は、Christieの愛読者なら知ってるが、一般的には無名な作品をチョイスした。イタリアを代表する国際派Riccardo Scamarcioを選んだ事で、彼が出演したレビュー済「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」同様にオチが知られてない、且つ限られた予算で創れるミステリを目指した。オリエントやナイルはオチを知った上で楽しむのが作法だが、ディズニーから予算を大幅に削られ「やりたいのなら、どうぞ」的なスタンスにアイルランドの反骨精神が芽生えたのも事実だろう。

先々週レビューした「死霊館のシスター 呪いの秘密」スリラー対決に敗れ、北米興行成績は僅差の2位止まり。もう続編は無いのか?。イギリスでブレイクした、とにかく明るい安村の様に安心して下さい、作品自体に監督のメッセージが込められてる。実は本作は「全ての謎が解き明かされて無い」事にお気付きでしょうか?。監督は「コレはPoirotが探偵に復帰する為の準備運動」インチキ霊媒師は真犯人が抹殺したが、人殺しで人が救われる事は絶対に無いが、人の心に巣喰う荒波は灰色の脳細胞で鎮める事が出来た。実はミステリ映画は劇場でコケても、配信で息の長い視聴回数が稼げるジャンルなのです。今度はディズニーが頭を下げる番だと、私は前2作とは異なり全面的に監督を支持したい。

オリエントとナイルは原作レイプだがSir Kenneth Branagh、やはり貴方は才人だった。
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