くまちゃん

ザ・クリエイター/創造者のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

ザ・クリエイター/創造者(2023年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

ギャレス・エドワーズはSF作家だ。
「モンスターズ/地球外生命体」から始まり「GODZILLA」「ローグ・ワン」とキャリアを重ねる事にプロジェクトの規模も成長してきた。今作は集大成というには早すぎるが確実に到達点までの指針となるはずだ。

2023年、ハリウッドでは大規模なストライキが実施された。脚本家組合と俳優組合が同時にストライキ入りするのは1960年以来となり公開待機作のプロモーションを含めたあらゆる活動がストップした。理由はいくつかあるがその中の一つはAIの規制に関してである。昨今AI技術の発展は目まぐるしくChatGPTの登場により一般人にも浸透した。
それは我々にとってはテクノロジーによるテレビやスマートフォン同様新しい玩具を与えられたに過ぎない。しかしクリエイターにとっては職を失われる脅威となり得る。特定の俳優の演技を学習することで完璧なキャスティングを提案したり、ディープフェイクのような本人が出演していないにも関わらずその人が演じている作品を創造することが可能となる。また作品ごとに10人前後の脚本家がつくことがあたりまえのハリウッドでその1人をAIとすることで脚本家の仕事が奪われる事になる。映像業界がAIに対し慎重になるのも当然だろう。
その一方で、日本ではAIタレントが雑誌のグラビアやCMに起用され良くも悪くも話題になっている。AIタレントの専門事務所も設立されている。また韓国ではAIの起用が活発化しているそうだ。
これはAIを敵視するアメリカと共存するアジア圏という作中の構図が現実世界とリンクし強い説得力を与えている。公開時期が歴史的ストライキの渦中というのもタイムリー過ぎて明らかなフィクションであるはずなのに我々の世界の未来の映像を見せられているかのような錯覚に陥る。

ロサンゼルスで核爆発が起きた。政治やロボット製品の登場をブラウン管のような粗雑な映像に乗せ、我々を一瞬混乱させるが、すぐにこれは「if」の歴史を辿った世界であることがわかる。
従来のSF映画で形作られた既成概念によってこの核爆発は発達したテクノロジーの象徴たるAIが人間への反乱として興したものだと潜在的に認識してしまう。冒頭のニュース映像による説明は単なる答え合わせでしかない。原因がAIなのは知っているからだ。
しかしAIレジスタンスのハルン曰く、この核爆発は入力ミスによるヒューマンエラーに起因するとのこと。この証言をきっかけに理知的で義理堅い印象を与えるAIと、粗野で蛮行が目立つ人間の立場が観客の中で逆転する。本当の悪は人間なのかと。一般的に暴力的なものは悪とされ、非暴力的なものは優しさとされる。
偏見や思い込みで責任を擦り付けられ排除しようと攻撃を受ける。AIはただただ忍び、受け入れてくれるアジア諸国でひっそりと日々を過ごす。銃を持つ時は自衛の時だ。
だがそのハルンの証言もまた信頼はできない。核爆発の原因は人間かAIか、いずれにせよ語られるのみで明かされるわけではない。傍観者たる我々はどちらの意見も鵜呑みにすることはできない。

ギャレス・エドワーズは「GODZILLA」以降渡辺謙の起用を避けていたそうだ。彼は演技がうますぎるから。新しい風を取り入れたいがために。ところがキャスティングに行き詰まったころある決断に思い至る。渡辺謙へ一本電話すればいいと。シナリオを送り、リモートでヒアリングを行った結果渡辺謙はオファーを快諾した。ギャレスの思惑通り渡辺謙はハルンという非人間的な存在でありながら誰よりも人間味溢れるキャラクターを完璧に演じきった。それは誰もが認める所であろう。しかし、だからこそ吹き替えは渡辺謙本人であるべきだったのではないか。今作では渡辺謙の吹き替えは森川智之が担当している。声質はいつもの爽やかなものではなく、若干ハスキーがかった渡辺謙本人の声色に近づけたものになっており、プロとしての努力が伺える。それならむしろ森川智之でなくともよかったのではないか。
洋画の吹き替え、もしくはアニメーションの重要キャラに森川智之と山寺宏一が配される場合がある。それは彼らが築き上げた絶大なる信頼と絶対的な実力の証明だ。ただ見方によっては制作側の怠慢とも言える。彼らに任せておけば大丈夫だと。森川智之も山寺宏一も良い声ではあるが際立った特徴のある声ではないため誰にでも当てはまるのだ。他に適任者がいるにも関わらず森川智之、山寺宏一、両者の名前がクレジットされるとまたかと辟易させられる。

今作では度々天国について言及されている。天国とは死後の世界をポジティブなニュアンスで捉えたものでありキリスト教においては魂が永久の祝福を受ける死後の世界ことだ。アルフィは言った。私達は天国へ行けないと。ジョシュアは善人じゃないし自分は人間じゃない。あまりに厭世的なその言葉は愛らしい少女には似つかわしくない。アルフィは、人間の世界ではAIのリーサルウェポンとして脅威的に見られている。アルフィやAI達にその気は全く無いが、愚かな人間どもは銃口を向けられトリガーに指を掛けられていると勝手に思い込み両者の関係性は膠着状態が続いている。そんな中、彼女は次第に本領を発揮していく。合掌することであらゆる電化製品にアクセスし制御することができるのだ。その姿はIoTそのものであり、その力は科学が発達し全ての自動化が進んだ世界においては神に等しい。実際に作中AI達はニルマータを崇拝し、僧侶のAIが脇を固め宗教国家のような様相を呈している。
キリスト教SFとはキリスト教の主題や概念とSFを組み合わせた文学作品におけるサブジャンルの事だが、今作では仏教SFとでも言えるのかもしれない。

AIに対する根絶と共生という人間側の二極化した価値観を描く事でAIvs人間ではなく、人間vs人間の対立構造になっている。その中立に位置するのがジョシュアである。彼は当初AIを作り物だと否定的な意見だったが、アルフィとの繋がりやマヤへの思いも相まって肯定的な意見へと移ろいでいく。このグラデーションはある意味作中一番人間らしいのではないか。対してハルンを筆頭としたAI達は悪しき心が描かれていない。命令を受け敵に攻撃行動をおこすか、偏見や差別のない穏やかな平和の中で生きるか。チベットを彷彿とさせる温かみのある情景と仏教的な色によってAIの非暴力的な側面が際立つ。植物状態のマヤと再開したジョシュアに対し僧侶は言っていた。我々の手では殺せないと。これはロボット工学三原則に基づき人間には危害を加えられないためだ。悪の心を持たないため完璧ではない。鉄腕アトムで示された命題は今なお答えがでていない。人間は知能が成長するにつれ利己的な嘘をつけるようになる。さらに成長すると利他的な嘘をつけるようになる。現時点でAIにこれほどの学習能力を付与させることは難しいだろう。仮にもし、AIが自分の意志を持ち、自分たちで同種族を製造する能力を得たとしたら、人間のように悲しみ怒り、喜び、笑い、嫌悪も恋愛も友情も自発的に育むほどテクノロジーが発達したら、それはただのロボットと言えるだろうか。人間同士の醜い争いは未だにあとをたたない。そこへ高度な技術を持ったロボットが軍事介入してきたら人間などひとたまりもない。
今作で描かれたのはあくまで一つの可能性だ。ギャレス・エドワーズのAIに対する憧れと疑問点を詰め込んだ結果なのだ。我々は新しい玩具に飛びつく前に、今一度冷静に取扱説明を精読しながらAIのありとあらゆる可能性、そして我々の生活圏への影響と共存できる未来について熟考する必然性があるだろう。
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