ヨーク

ミャンマー・ダイアリーズのヨークのレビュー・感想・評価

ミャンマー・ダイアリーズ(2022年製作の映画)
3.9
こういう映画は面白いとか面白くないでは語れないとは思うので、まぁ機会さえあれば観た方がいいよ、というくらいにしか言えないという、そんな『ミャンマー・ダイアリーズ』でしたね。
こういう映画ってどういう映画だよ、と言われたら、あらすじついでに説明すると本作はまだ皆さんの記憶に新しいだろうが2021年2月1日に起きたミャンマーでの軍部によるクーデターを受けて制作された映画です。だがちとややこしいのは本作はジャンル的には劇映画ともドキュメンタリーとも言えない仕様になっていて、実際にミャンマーの人たちがクーデター後の混乱の中で自前のスマホで撮影してSNSなどにアップしたが動画や写真(熱心に動向を追っていた人なら既にいくつかは見たことがあるかもしれない)をベースとしながら若手の映像作家10人が匿名のまま“ミャンマー・フィルム・コレクティブ”という組織を結成し、SNS等に上げられた動画にごく短いフィクションの短編を繋いで、今現在の軍部による圧政下のミャンマーがどのような状況なのかを伝える映画となっている。
まぁそういう映画ですのでね、最初に書いたように面白いとかつまらないという語り口では語れない作品だと思うんですよね。そこで描かれているものに対して俺がどうこう言えるような作品ではない、ということです。
ただ本作を観ながら俺はずっと想像力というものについて考えてしまったんだが、それというのは本作はクーデター下の軍部や警察組織が発砲も辞さないという状況で制作されたわけですよ。実際に作中でも描かれるが軍事政権に対するデモ行為やレジスタンス活動の中で殺されたケースもある。ドキュメンタリー部分では特にナレーションや字幕が付いたりするようなことはなくて細かく解説をしてくれるような作りではなかったが、かなり市民活動は制限されていておそらく夜間の外出なども禁止されていたであろう。そういう状況なので当然のように本作、というか映画制作、特に屋外でのロケなんてできるわけがないから本作の劇映画部分というのはほとんど(全てではなかったが)が屋内での撮影で、さらに言うと非常に抽象的で詩的とも抒情的とも言えるものだった。
本作が制作されていたときのミャンマーの、その中でもかつての首都であり最大の都市ヤンゴンの現実というのは作中で描かれている通りの暴力による統制であったのだろうが、本作の劇映画パートにあるのはその絶望的な現実を描きながらもそれが嘘、言い換えれば想像であるということなのである。本作ではリアルに撮影された動画部分と劇映画として制作された部分がほぼシームレスに行き来するが、その境界というのは”ほぼシームレス”なだけであって不思議と「あ、今劇パートに入ったな」というのは分かるのである。多分、その違いというのは制作された劇映画パートの方には意図と想像力が含まれているからなのだと思う。もっと分かりやすい部分では劇パートでは制作に関わった人物の身元が分からないように登場人物の顔が映されないようにされている、というところもあるのだが、やはりそれ以上に、具体的にどこがと言われても少し言葉に詰まるのだが意図と想像力を持って作られたものであるということを感じるのである。
例えば途中、新型コロナの影響で国外にあるホテルに隔離された女性を描いた劇パートが挟まれる。そこには軍部によるクーデターを受けて命の危険もあるような状況下から逃れられた安堵が素直に描かれながらも、自分の持ち物を見渡してそれらから自分はミャンマーからやって来た人間であの状況から逃げるように外に出てしまったのだ、というある種の自責を感じさせる姿も描かれる。そこにあるのは例え国外へ逃げおおせても自分のルーツから逃げることはできないであろうという想像である。それは民主主義を否定して暴力でクーデターを実行した軍部に対して戦う力にもなるが、俺には少し怖いもののようにも感じた。想像力は希望も絶望も生み出すし、簡単にプロパガンダにだってなる。もちろん俺は現ミャンマーの軍事政権には正当性は感じないし何とか民主的な政治機構を取り戻してほしいとは思うが、多分それは正義とかではないのだ。少なくとも正義とか悪とかそういうものではない。
そして本作ではロヒンギャの存在は一言も語られない。おそらく軍部が力を持ったプロセスの中にはロヒンギャの問題もあり、民主化の母として国内外の象徴であったスー・チー氏のロヒンギャへの対応はおそらくミャンマーの多数派と少数派、そして我々のように国外から見る人間からの視線では全く見え方が異なるのであろう。今もっとも注目を浴びる国際情勢でいえばイスラエル・パレスチナの問題もまさにそうだと思う。そこでフル稼働される想像力というのはどこまでその範囲を広げることができるのだろうか。所詮、自分と自分の仲間のことしか見えないのではないだろうか。だがそうであったとしてもミャンマーの現状は看過できないであろう。
そういうことを堂々巡りのように何度も考えさせられる映画で、最初に書いたように俺には何も言えないけど機会があれば観た方がいいよっていう映画でしたね。本作のチケット代のいくらかはミャンマーにおける人道支援に使われるらしいので、そのためだけにも多くの人に観ていただけたらなとは思います。
最後に、本作のラストシーンは軍事政権に対して武力によるレジスタンスを決めた若者たちが銃の訓練をしてジャングルの中に消えていく、というシーンだったのだが、演出なのか偶然なのか彼らの後に犬が続いて歩いて行ったのが非常に印象的だった。○○の犬、という言い回しは大体否定的な意味で使われる。国家の犬とか権力の犬とかが定番だろうか。あの犬は何かの犬なのだろうか。それとも、それらを思い浮かべるということこそが”想像力が権力を奪う”ということなのだろうか。
まぁかなり思うところの多い映画なのですが、まずは観ないとお話にならないので機会さえあればみなさん観ましょう。
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