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見えざる手のある風景のkuuのレビュー・感想・評価

見えざる手のある風景(2023年製作の映画)
3.6
『見えざる手にある風景』
原題 Landscape with Invisible Hand
製作年 2023年上映時間 105分
児童書から10代向けの本を執筆する作家“M.T. アンダーソン”の2017年の小説づいた、コリー フィンリーによって脚本および監督された2023 年のアメリカのSF映画。
アサンテ・ブラック、カイリー・ロジャース、 ティファニー・ハディッシュが出演。
今作品は ブラッド・ピットらによって設立された プランBエンターテインメントによって製作。
あ!あの独特な音、エイリアン語の独特な音は、釘を刺した乾燥ココナッツを苔むした岩にこすりつけて作られたそうな。 

近未来、地球はあるエイリアンの種族の来訪を受けて、既存の文化や社会は大きな変容を余儀なくされた。
これは人類にとって新しい変革をもたらすとリーダーは語り、その言葉を信じたのであった。
エイリアンは独自のテクノロジーを持ち、一部の人間に仕事を与えている。
そんな地上の世界で、2人のティーンエイジャーが家族の未来を守るために思いついてしまった計画を軽い気持ちで実行に移す。

今作品は独自のテクノロジーを持つエイリアン技術で、地球人の仕事がへるってとこも描いてた。
それでふと思たのは、AI技術。
2015年12月『AIの導入によって日本の労働人口の49%の仕事が10-20年以内になくなる』なんてレポートが、野村総研とオックスフォード大学の共同研究によって発表された。
それから9年あまりが過ぎた現在、人間の仕事は本当にAIに奪われつつあるんかなぁなんて考えながら視聴した。
今作品はエイリアンの技術やけど、同じようにAIの導入が加速したら、それでも残る人ってのはどのような能力が求められるんやろ?
現在のAIは単なる自動化にとどまらず、ビッグデータを分析して状況に合わせた対応を提案するレベルにまで進化してる。
ただし、ゼロから何かを作り出すことはできない(今のところは)。
なら、企画力や創造力といったスキルはこれからも人間に求められるはず。
柔軟性、思考力、リーダーシップなど、コミュニケーションや関係性の構築に関連することもまだまだ人間の得意分野だと云えるし、このスキルこそAIに対抗しうる部分かと、幾つかの部分では今作品のエイリアンとも付き合っていけるかな。
人間にしかできないことを改めて考えることで、これからの働き方が見えてくるかもしれない。
今作品は将に、地球の文明では地球人しか出来ないこと、今、考える時にきてんのかな。
同じように、新たに新人類が台頭して、現代人が旧人類になりうるときも同じかな。。。
かなり横路にそれましたが。。。
扠、今作品ですが、ティーン向けラブコメとエイリアン侵略ホラーちゅうジャンルを合体させ、巧みで複雑な結果をもたらしてます。
冒頭、高校生の主人公アダム(アサンテ・ブラック)が描いた絵画で、意外にも平和なんかなぁなんて思わせる。
エイリアン種族が、武力ではなく(多少の武力であがなった国もあったらしいが)、地球で最も進取に富んだ資本家との欺瞞に満ちた取引によって地球を支配している近未来が紹介される。
エイリアンは獰猛な生き物とはほど遠く、貝殻のないヤドカリのようで、パドルのような手をこすり合わせることでコミュニケーションをとる。
美術の授業中、アダムは学校の転校生クロエ(カイリー・ロジャース)に恋をし、自分と母親のベス、妹のナタリーが住んでいる古ぼけた家に、彼女の家族を招待する。
ベスとクロエの父、兄の間に緊張が走る(今後の事や家賃など)。
そこでクロエは『恋愛実況放送』(アダムとクロエの恋)を提案し、アダムとの交際を有料でエイリアンのみ視聴目的に配信することにする。
無性生殖を行うエイリアンは、人間のデート文化やロマンスに執着している。
それは、その響きと同じくらい狼狽させられ、暗く可笑しい。
実際、現実でもYouTubeで己の部屋を彼女とイチャイチャすんの垂れ流してんのみた時、チョイ好奇心に負けて観てた何倍もの興味がエイリアンにはあるんかなって想像しちまった。
M.T.アンダーソンのヤングアダルト小説を原作とする今作品は、『サラブレッズ』、『バッド・エデュケーション』に続くコーリー・フィンリー監督の長編第3作。
アダムとクロエの一攫千金計画(そしてそれがもたらす2人の関係の緊張)は、やがてベスと核家族の父親役を演じたい若いエイリアンを巻き込んだ、さらに奇妙な茶番劇へと変わっていく。
不変なのはアダムが描いた絵画であり、ティーンエイジャーの目を通してエイリアンが徐々に人間の生活を支配していく様子を描いている。
階級、人種、権威主義の問題に対する寓意的なジェスチャーは十二分に見て取れるけど、映画のトーンの矛盾が風刺をぐらつかせる。
エイリアンが人間の学校のカリキュラムにプロパガンダを注入する様子や、クロエの父親のようなある種の地球人がエイリアンの侵略者の前に熱心にひれ伏す様子を描く手法には、確かに意図がある。
しかし、現実世界と類似しているにもかかわらず、これらのテーマ的要素には何の説得力もないよな感じがした。
共感性のあからさまな欠如と人間社会に対する時代遅れの認識を持つエイリアンは、最初からジョークとして扱われている。
その結果、アダムとその家族に対する最も憂慮すべき脅威でさえも、軽微で取るに足らないものに過ぎず、回復力という映画の中心テーマが損なわれてはいた。
でもまぁ、役者さんたちもよかったし、かなりユニークな作品やった。
また、いろんな想像や妄想を膨らませてくれた作品ではあった。
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