喜連川風連

ラブ&ポップの喜連川風連のレビュー・感想・評価

ラブ&ポップ(1998年製作の映画)
4.7
ああ90年代。何に絶望していたんだろう。97年。世紀末の香り。

当時を知らないが、なんたる虚無か。屈折か。女子高生は若さを売り、不況下で自信喪失のおじさんは金で女を買う。女子高生に高いご飯をおごり、自慢話をする。

プレゼントや指輪では、女子高生の虚無は埋まらず、あるものは目標に、テクノロジーに、男に走る。

自分を売れば、欲しいものは手に入る。決して彼女らは貧困ではない。

共通の物語を失った日本の虚無と混乱と自己肯定感の低下。

「自分をもっと大切にしろよ!見ず知らずの人に裸になりやがって!」

かぐや姫の神田川を歌いそれを女子高生がバカにするシーンがある。

神田川の美しさが響かないほどに、東京はうす汚れ、モデルのひとつ渋谷川は暗渠になり、汚い水を垂れ流す。

せめてもの慰めに、女子高生は虚無から逃れようと、カメラで日常を切り取るが、最後にフィルムは盗まれてしまう。

フィルムが無ければ、彼女はもはや彼女でいられないのだろうか?

「自分には何かが足りないと思いながら、友達とはしゃぐのは難しい。何かが足りないという個人的な思いはその人を孤独にするから。時がたてば、あの指輪とのつながりもゆっくりと消えていく。何ががほしい、という思いをキープするのは、その何かが今の自分にはないという無力感をキープすることで、それはとても難しい。」

エヴァが95年に自己の喪失を歌い、もののけ姫が98年に「生きろ」と叫び、04年に湯浅正明が「マインドゲーム(心の問題、気の持ちようだ)」と言う黄金律。

シンゴジラの原形になるカット多数。高速のカット切りは岡本喜八を思わせる。

長久監督のプールに金魚をもこの映画に影響を受けたんだろうか。

ナメの構図の独白は、岩切監督にも受け継がれている。

プールに金魚をでの10年代女子高生はテレクラを冷やかしに使い、コスパ良く遊ぶ術を身につけている。ずっとしたたかだ。

90年代の虚無はテクノロジーが解決したのだろうか?
喜連川風連

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