このレビューはネタバレを含みます
孫の爪を切ってやり孫とバドミントンして
その一連の場面を思い返し胸が詰まった…
孫に罪を自覚してもらい、償いしてほしい。おばあさんは愛する孫に、美しい心に戻ってほしいと最後に願ったのであろう
おばあさんの心情を汲みとった警察官のおばあさんとのバドミントンのラリーに、この監督の見つめる眼差しが見えた
学生時代に詩を作る授業があった。私も悩み苦しんで創作した。私にとって「詩」を作るとは、うわべやニセモノ、余計な飾りを取ること 心身が感じたものを外に押し出す作業であった
認知症になると気持ちが安定せず心配事でいっぱいになると同時に、嘘や計算高くない素の言葉 思いが出てくる
似ているような気がする
おばあさんが詩を作ろうとする時、身を削るようによじっても自分の中から出てくるのは美しい言葉ではなく、アグネスというこの世にはもういない少女の跡を追っていく自分
イ・チャンドンの映画は、今までの自分になかったような自分の感情がまさぐられる
言語化するのがとても難しい
映画を後から後から懸命に思い返す
加害者 加害者の親 被害者の母 学校関係者
半身麻痺のお爺さん
この世には、まん丸い人なんていない
歪ででこぼこに生きている
孫の前で黙し通しながらもおばあさんの苦しみが痛いほど伝わってくる
イ・チャンドンの映画には、永遠に動いていく川の流れと必ずまた射す光りが繰り返し出てくる
真っ暗闇の映画はない