チョン・ドヨンの、あらゆる悲しみの表現を目の当たりにする。
事故死で死別した夫の故郷、密陽へ、ソウルから引越してくる親子。
母はピアノ講師。故障した車の修理を依頼したことから整備工場の社長と知り合う。
幼児教室に子供を通わせ、ピアノを教える日々。事件が起こって彼女は壊れていく。
幼児教室に子供を迎えに行った母、シネの笑顔のかわいさにまずドキッとする。
印象的な表情はほぼスクリーンのセンターにない。さりげなく、ふっと捉えたようなカットがドキン!っとさせる。全編通じて驚かすような盛り上げ方をしないが、息遣いと挟まれる親子のやり取りに緊張させられる。
考えられるいちばんの悲しみにまともでいられるはずもなく、そこからのチョン・ドヨンの演技はさらに声を上げてなくても叫んでるような悲壮感でたまらなかった。
息をするのも必死な人に与えられた場所が宗教というところは、宗教観を持っていない私でも少しは想像できる。
しかし。シネが許す、などと口にした瞬間から私の心拍数は上がりっぱなし。嫌な予感をさせる柔らかな光。からの
ずしん、でした。
社長のソン・ガンホがこの映画の中で絶対的な安心感を放っていて、眩かった。
彼もまた光。
二日続けて映画館で鑑賞した
イ・チャンドン。
せめてもう一本くらい映画館で観れたら…特別な体験になる。
そしてまた日が経って思うわけですよ。
映画を見て傷つくことで癒されるものがあると。私はそれを言語化する術を持っていないけど、私の中の何かが動かされたのは間違いない。だからやっぱり
素晴らしい作品だと思います。