ラウぺ

プリシラのラウぺのレビュー・感想・評価

プリシラ(2023年製作の映画)
4.0
1959年、14歳のプリシラ・アン・ボーリューは西ドイツの米軍基地のダイナーでプレスリーと友人だという隊員からプレスリーの自宅でのパーティーに招待される。やがて二人は恋仲になり、プレスリーはプリシラをアメリカの名門校を卒業させるという条件でアメリカに招き、やがて結婚する。仕事でグレースランドを留守にすることが多かったプレスリーを待つ生活は退屈で、様々な女性とのスキャンダルを報道されるプレスリーとはすれ違いがちになる・・・

「女性が身を投げ出す男」エルヴィス・プレスリーと親密になっていくプリシラの様子は見るからに夢を見ているようで初々しく、この作品前半の見どころのひとつ。
ところが、結婚してからの様子はプリシラを家に置いて出掛けるエルヴィスを待ち続ける描写が多く、外でエルヴィスがどのような活動をしているのかは断片的に描かれるのみ。
特にステージのエルヴィスの歌唱を象徴するような派手な描写が殆どない。
『エルヴィス』を観ていれば、エルヴィスの華々しい活動とその破綻の様子が、パーカー大佐の目線で描かれ、凡その経緯を知ることができるのですが、この作品単独ではエルヴィスの活動の基本的知識がないとそれは難しいと感じます。
プリシラがエルヴィスと別れるに至る動機付けの描写がはっきりとそれとわかるようには描かれていないことからも、なんとなく尻すぼみな、薄味な作品というイメージが付きまといます。
ある意味で『エルヴィス』がそうしたショービズ業界のゴージャスな面を正面から描いた非常に明快なストーリー展開であったの対し、こちらは非常に内省的で地味な印象に見えてしまう、というきらいがあります。

鑑賞直後はなんとも薄味な感じが今一つパッとしない映画という印象を持ちましたが、自宅に帰る道すがら、これはプリシラの一人称目線に徹した映画であり、結婚後の表立ったエルヴィスの描写が殆どないのも、エルヴィスの女性スキャンダルの有無について新聞や雑誌のみでしか明らかにされないのも、プリシラの体験した結婚後の生活をトレースしたものだからではないか、と気づくのです。
家でのエルヴィスの描写はときに癇癪を爆発させたり、薬物中毒であったり、大佐に頭が上がらない様子が僅かに描写されるものの、基本的にはプリシラを大切にしている様子は窺えるもの。
それでもプリシラは外のエルヴィスの活動について非常に限定的な情報しか持っていないように見える。
エルヴィスと別れる決意に至る描写が明示されなくても、プリシラはそれまで充分に耐えてきた、と監督は考えているからではないか、と思うのです。

全体に薄味な描写とエルヴィスの歌手としてのカリスマが前面に出る描写が殆どないせいで、薄味な印象が拭えないのは間違いないと感じますが、これは『エルヴィス』を“陽”とすればこちらは“陰”としてのプリシラが主人公である、という合わせ鏡のような関係といえるかと思います。
ラウぺ

ラウぺ