じゅ

6月0日 アイヒマンが処刑された日のじゅのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

アドルフ・アイヒマン(1906-1962)
ナチス幹部。ホロコーストの責任者の1人。
1932年にナチス党員になり、後に親衛隊幹部に昇進した。1942年以降はヒトラーのユダヤ人撲滅作戦の一人になる。第二次世界大戦後に米軍に逮捕されたが、1946年脱走し、逃亡の末1958年にアルゼンチンに落ち着いた。1960年5月11日にイスラエルの特務機関に逮捕されてイスラエルへ連行された後、1961年12月に絞首刑の判決を受け、1962年5月に最高裁への上告が却下されて刑が執行された。
罪状は、ユダヤ人に対する罪、人道に対する罪、戦争に対する罪。一方でアイヒマンは祖国の法と旗、戦争の法則に従っただけと無罪を主張し続けた。
なお、アルゼンチン政府は、イスラエル政府がアルゼンチンで行った不法行為について厳重に抗議した。

ですって。コトバンクのブリタニカ国際大百科事典の小項目事典のとこ読んだ。


そのアイヒマンを巡る本作は、数名のイスラエル人とリビアから来たアラブ人の視点で描かれる。
アイヒマンの死体を焼く焼却炉の製造を秘密裏に引き受けた元兵士の工場長に、その工場長の下で働く盗人の少年、焼却炉の製造を頼んだ警護の責任者、アイヒマンの裁判で検察側として働いたホロコーストの生存者。
製造した焼却炉が刑務所へ到着したのは、既にアイヒマンの処刑が執行された後だった。すぐさま焼却されたアイヒマンの灰は、その後領海の外で海洋に撒かれた。
焼却が完了してすぐ、少年は工場を解雇された。従業員ぐるみで少年が働いていた過去も無かったことにされた。時を経て年老いた少年は、焼却への自身の関与をwikiに残すべく運営団体と話しに行くが、証拠がなく認められなかった。担当者は、しかし後で明らかになる真実もあると言う。


エンドクレジットの最後の方に事実に基づいてます的なこと書いてたけど、どこまで基づいてるんだろう。最後におじいダヴィッドが言われてたように、(今は示せなくても)後から明らかになる真実もあるってなもんで、そういう少年がいたってことまで本当なんだろうか。

と思ったら、違うみたい。なんか、劇場に貼ってた紹介文(?)に書いてたことでは、普通は火葬しないはずのイスラエルでアイヒマンが火葬されたという矛盾に興味を持って、当時工場で働いていたという人に会ったことでダヴィッドのキャラクターが生まれたとのこと。監督・脚本のジェイク・バルトロウ談。


「アイヒマンを焼くぞ」「でも普通俺たちは火葬なんてしないぞ」「うるせえ俺たちとあいつは別もんだ」「やんややんや」みたいないざこざががっつり描かれるもんと思ってたけど、どうやらそれだけじゃなかった。思ってたより複雑。

なんでダヴィッド少年はリビア出身のアラブ人という設定で創られたんだろう。
その立ち位置にすることでどんな人間にできるかというと、たぶんホロコーストにもその後のパレスチナ問題にもこれといった民族的感情を持たない(≒どうでもいい)人にできるのかな。世界史わかんなすぎて自信ないが。でも実際、アイヒマンの判決が公報されるラジオを学校の教室で1人だけ聞いてなかったし、やってない宿題を弁慶の勧進帳よろしく空で読み上げた時は死刑は誤りだ的なことを咄嗟に口走ってた。父親にアラブ人の顔に泥を塗るなみたいなことを言われていたけど、構わず盗みを繰り返した。

民族的にはニュートラルな立ち位置だからこそ、民族としての感情の難しさが見えてくるのかもしれん。
工場長殿のコレクションの1つ、金の懐中時計は英軍の死体から"取った"ものらしい。それも、ダヴィッドの理解が正しければ、工場長殿が兵士だった頃に敵兵を殺して奪ったことになる。工場長が言うには、ダヴィッドはただ利己的に盗むけど、彼は祖国のために戦って殺してそのついでに戦利品を取ったってかんじに聞こえる。
要は、同じ犯罪(なんならそれ以上のこと)をしても、民族としての大義があればそれは正義になると。言い換えれば、民族の大義の下にいくらでも特例は存在しうるってかんじだろうか。

火葬の件はどうだろう。というかそもそも、イスラエルでは死刑自体アイヒマンのを最後にやってないらしい。なんか、特例だらけなかんじがする。
まあホロコーストにがっつり関わった人間となれば、ユダヤ人の国じゃもう死刑は疑う余地もなさそうな気はする。ダヴィッドが行ってた学校の先生も、ダヴィッドが(出まかせで)死刑は誤りだって言った時にそう考えた根拠も問わずにキレた。聖書では「眼には目を」とのことだけど、はたから見て教職としてはなかなかあんまりな態度だと思う。でも、それだけ民族の問題は根が深いんだろうなと感じる。
火葬だって、有識者が「執行後に火葬できる国へ行けばいい」とシンプルな方法を提案してたけど、結局塀の中で焼却した。炉の操作だって、慣れてるダヴィッドじゃなくて素人の板金工がすることになって、収容所から生き残った過去を持つ彼が「仇を取ってこい」と送り出された。そもそも火葬の件を話し合ってる時、「異教徒だから関係ない」とか「遺族が希望したら死体を返さざるを得ない」とかって話が上がったのを覚えてる。アイヒマンの遺体を遺族に返すことの何が悪いんだろう。ドイツの民族の尊厳的なやり方で葬られるのが癪に障るってことなんだろうか。もし仮にそうだとすれば、仇とか異教徒云々の意見も含めて、つまるとこ民族の感情の問題に帰着するんだなと思う。

警護のおっちゃん(たしかあのガールズバンドと同じくハイムという名だったと思う)も感情的な懸念を取り去るために獄中のアイヒマンに近づける人間を出身地域で限定してて、そんな辺りからもやっぱり民族感情の難しさ・厄介さ・怖さがうかがえる。


どうやら歴史とか記憶についての見方もあるみたい。
アイヒマンの裁判で検察側の仕事をした"英雄"の彼は、両親がガス室に送られて妹は10歳で殺され、自分は80回の鞭打ちに遭った経験を持つそう。そんな彼の過去は、イスラエルへの入国時に同族から創作扱いをされたことから、しばらく自分の中に秘めていた。でも今はアウシュヴィッツのツアーで遠くから来た客に自身の経験を語り、「忘れたいが自分が生きている限り忘れさせたくない」と言う。
年老いたダヴィッドは、焼却炉の製造に携わった自分の名をアイヒマンのwikiに載せたいと言う。「僕は歴史に触れて、歴史が僕に触れた」んだそう。

2人の気持ちは同じ根っこを持つのかな。つまるところ客観的に消えたくないって言ってるんならまあそう遠くない感じはする。
じゅ

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