ボギーパパ

6月0日 アイヒマンが処刑された日のボギーパパのレビュー・感想・評価

3.7
劇場2023-63 DENKIKAN

ユダヤ人問題の最終的解決、、、
この鬼畜の所業、人類史上最も愚かな政策を最終的に進めた男アドルフ・アイヒマン  

今年鑑賞した『ヒトラーのための虐殺会議』。この作品へは勉強不足で臨んだので、復習の意味も込めて、舞台となったヴァンゼー会議にも臨席し、ホロコーストを指導していたこの男の最期を描く本作を鑑賞。

本作は主にダヴィッド、ヤブコ社長、アイヒマンを収容・監視するハイムの3人を中心に回転する様に描かれる。
彼らはアイヒマンの最期に一見あまり関与していない様でありながら実はものすごく深く関与しているという物語。こういう描き方、実に映画的。我々は作品を俯瞰してみているからこの連関がよくわかる。

アイヒマン自身をほとんど画面に出さず、出しても後ろ姿だったり、足だけだったり、、、
しかし、しっかり出てこないそのアイヒマンを中心に、人生を変えられた男(そういえば本作女性がほとんど出ていない)や民族の悲哀を、刻み込む様に映し出す。アイヒマンを影に置き、イスラエルに住む市井の人々に光を当てる。中心を隠し、周辺を描くことにより中心の重さを反射的に表している。

一方で死刑のない国・イスラエルで処刑されたそのアイヒマン。アルゼンチンからの誘拐は国際法違反だから、何としても体面を保ちたいが、積年の恨みを裁き処さねばならない国家、
そしてイスラエルの根幹をなすユダヤ教のタブーをクリアするために、、、いろいろ知恵が絞られ、焼却炉発注へつながる。

この作品には「繋がり」を深く感じた。
細いながらも繋がっている。しかしこの繋がり、大いなる恨みが綾なし決して断つことができない繋がり。前からつながっていたのだろうが、あの戦争から繋がりが広く広範囲にわたり、そして深くなったとしか思えない。
そしてこの繋がりはダヴィッドが老いた時点になっても本人はしっかり繋がっている。
しかし一方、記録に無いという事でこの繋がりも無くなりつつ、、、

ここで思うのは、震災や戦争も含め記録マジ大事という事。繋がりも事柄も時が経てば、細く薄くなる。しかし忘れてわならない、のちの教訓にしなければならない事は、、、ということ。

そしてもう一つ、、、戦争は不幸を繋いでしまうという事。戦争はは家族や国を守るという意識で行われるが、そこで起こる不幸を家族や国民につなげてしまうという事。そしてその不幸は世代を越えて連鎖するという事を改めて思った。

我が国に起こっている鬼畜の所業、人類史上最悪の行いと言われるあの事件も、被害を受けた人だけではなく、不幸が多方面に連鎖して繋がってしまう、、、こんな事もふと思い起こさせてくれました。

あー、なんかボロボロな感想だが、、、
色々考えてしまいました。
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