ノラネコの呑んで観るシネマ

6月0日 アイヒマンが処刑された日のノラネコの呑んで観るシネマのレビュー・感想・評価

4.1
ナチスの絶滅収容所へのユダヤ人大量移送を指揮した責任者、アドルフ・アイヒマンの裁判を巡る群像劇。
主人公が次々に入れ替わる特異な構成。
最初は処刑後すぐに遺体を灰にするため、イスラエル初の火葬用焼却炉作りを手伝うアラブ系ユダヤ人少年の話。
次の主人公はアイヒマンが収監されている留置所の、モロッコ系ユダヤ人の所長。
続いて絶滅収容所の生存者で、アイヒマン裁判の取調官だったポーランド系ユダヤ人。
最後に再び、焼却炉作りと処刑日のエピソードに戻って来る。
イスラエルは世界中のユダヤ人が集まって作った国だから、ナチスへの感情も出身地によって温度差がある。
恨みが強い東欧系ユダヤ人は、アイヒマンの看守になれなかったのは知らなかった。
これは記憶することに関する物語で、当時のエピソード+現在に舞台を移したエピローグ全てで、記憶に対する異なる考え方が描かれている。
ただし、この凝った構造によって、かえって言いたいことがボヤけてしまった印象。
今までのナチス裁判を描いた作品とは、違った視点を見せてくれる力作ではあるのだが、どちらかと言うと三人の主人公それぞれの物語を、もっと掘り下げた作品を観たいと思ってしまった。
三つ目のエピソードの、記憶の公共性に関する議論はとても興味深い。
「僕は化石なんだ」という言葉は深い。