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月の5のレビュー・感想・評価

(2023年製作の映画)
4.0

喋れない人には心がない。心がないなら人じゃない。生きてる意味なんかない。と思ってる人は、危険思想を持っているとして精神病棟へ送られた。そして実際に起きたこの事件の被告人である植松聖氏は死刑となった。死刑囚とは何か。社会的に認められないから、殺すしかないと社会で定められた存在である。"生きてる価値のない"人を、死刑で殺すことは日本では正しいんだよ。障害者を殺すなんて…ってテレビを見て言ってる、その事件をニュースで見てた人達は本当にきちんと考えてなんかない。こんな映画を作るなんて…と批判してる人達も、善人面しているだけの何も考えてない人達だ。障害者を殺した植松が死刑になったことにはあっさり納得してしまうなんて。彼の言う排除と、社会から排除された死刑囚は何がどう違うって言うんだよ。皮肉過ぎる。

私たちは見ないふりをしているから。誰かがどこかで世話をして、障害者達も満足に暮らしていてくれればいいと思ってる。自分は一切関与せず、自分ではない誰かがやってくれていればいいと思ってる。だったらいないほうがいいじゃん。いないほうが、誰の負担にもならないじゃないか。え、それは違う?じゃああなたがやればいいじゃないですか。でもあなたは自分の子供が障害を持っているなら、産みたくないんですよね?母親として、胎児を殺しますよね?それとこれと、何が違うんですか?

倫理の授業で、優生思想と出生前診断についてレポートを書いたことを思い出した。別にこの作品に希望なんて見出しません。ただ現実を見て、自分の感覚を知り、社会について考える機会を貰っただけだと思います。

生きてる意味なんてものは、自分が健常者であろうと見出せないかもしれないけれど。無かったことにしない、汚いものにも臭いものにも蓋をせず目を向け続ける石井裕也監督が作ったこの作品で、私たちはきちんと見て考えなくてはいけない。人とは何か。生きるってなにか。彼らが生きている意味は。彼らが生きていく道と、それを支えている人達の存在を。

二階堂ふみの役どころが面白かった。彼女は無かったことにしながらも、できていない。嘘が嫌なのに、嘘をつくしかいられない人間だ。
また磯村さん演じる犯人が、宮沢りえと同様に障害者に対する対応に疑問を持つところから、ヒトラーの平和主義から、どう考えてああなっていくのかというのは少々ついていかれない部分があった。
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