umisodachi

月のumisodachiのネタバレレビュー・内容・結末

(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます



実際に起きた障がい者殺傷事件をモチーフにした小説の映画化。石井裕也監督作品。

元売れっ子作家の洋子は夫と2人で暮らしていた。アニメーション制作に勤しみつつも殆ど働いていない夫は、洋子を「師匠」と呼ぶ。洋子は森の中の障がい者施設で働き始め、作家志望の陽子や、紙芝居を作るさとくんなどの若者と知り合う。しかし、施設の実情を知るに連れ、洋子は価値観を大きく揺さぶられていくことになる。そして、さとくんにも大きな変化が起きていた……。

ものすごく苦痛に満ちた作品。人によってはかなりのダメージを食らうので、鑑賞には気を付けた方がいい。でも、傑作。

この映画を表面的に語ることは私にはできないので、後悔されたばかりだがネタバレありで書く。

【以下、ネタバレあり】
















本作の登場人物は、種類は少しずつ違えど苦しみを抱えている。病気を抱えて生まれてきて「一度も喋ることがなかった」息子の死に苦しみ続ける洋子夫妻、厳しく息が詰まる家庭で育ち、書く小説が全く認められない陽子、絵を描くのが好きだが認められず、前向きに仕事に取り組んでも馬鹿にされるさとくん。苦しみばかりで、誰にも認められない自分には何の価値があるんだろう?生きる意味なんてどこにあるんだろう?という想いをどこかで抱えているという点で、4人は共通している。

全く動くことも反応もない入居者が自分とまったく同じ生年月日だと知った洋子は、彼女と自分とを重ね始める。自分と彼女は何が違うのか?何も反応しない彼女は「生きているとはいえない」のか?息子の死から生きる意味を見失い、書くこともできなくなった洋子は、「生きるとは何か」に思索を深めていく。

食卓に向かい合うことができない洋子夫婦。互いに傷に触れないように気遣いながら暮らしているが、ふとしたときに洋子の感情が溢れて夫を傷つける。そんな中で発覚した妊娠。前のように息子に疾患があったらどうしようかとひとりで思い悩む洋子は、それを夫に打ち明けることができない。

劣等感や嫉妬から洋子に酷いことを言ってしまう陽子も、闇落ちする前からときおりゾッとすることを口走るさとくんも、「大丈夫」と言いながら触れば壊れてしまいそうなほどギリギリで生きている洋子の夫も、自らの中に大きすぎる葛藤を抱えて悲鳴を上げそうになっている洋子も、すべてのキャラクターの解像度が異常に高い。演じている役者も恐ろしく上手いので、1秒も目が離せない。そして、辛くない瞬間がない。ずーっと辛いし、ずーっと苦しい。映画館で観たから逃げ場がなかったが、家で観ていたらギブアップしていたかもしれない。

クライマックスは、さとくんが闇落ちしたことに気づいた洋子と、さとくんとの議論のシーンだろう。完全な優生思想に陥り、正義感に燃えた様子で「生産性」だとか「これは皆のためなんだ」と【目的】について語るさとくんに、洋子は「認めない」と立ち向かう。しかし、さとくんの論旨に反論することができない。自分が入居者を殺すのと、あなたが疾患があるかもしれないお腹の子どもを殺すのと何が違うのか?と問われても、洋子は反論できない。夫が語った「出征前診断を受けて陽性だった夫婦の9割が中絶を選ぶらしい」というセリフが観客の脳にリフレインする。反論できないまま、いつしかさとくんは洋子に姿を変え、洋子は洋子の自身と対決する。優生思想は絶対に認めない、生きる者には生きる権利があると主張する洋子の欺瞞を容赦なく暴く洋子自身の声に、洋子も観客もズタボロになる。観客も同じだからだ。キレイごとだと言われてしまうと反論できない。自分たちが安全なところから理想論を述べる偽善者だと痛烈に指摘され、自分の中のイヤな部分を容赦なく搔きまわされる。きっと、さとくんに「生産性がない」と言われる側や、その近くにいる人たちはもっと深く傷つくだろう。それほどに激しくキツいクライマックスだった。

「心がないなら人間ではない」なんて、断じて認められない。それは反論できなくても絶対的な直観だ。本作は、非常に難しいテーマを丁寧に扱いながらも、「その是非は観客に委ねます」なんていう逃げ方はしていない。作中で何度も差し挟まれる虫や蛇の姿で、「生きとし生けるもの」を常に意識させる。論破できるかなんてどうだっていい。さとくんの理論は間違っている。絶対に、間違っている。ラストに出てくるいくつかのシーンが、その強いメッセージを示していると私は感じた。

本作にはまた、「声が届かない」というモチーフも何度も登場する。声を発するが、相手に届かない。イヤホンをしていて聴こえない。聴覚障碍者だから、抱き合った状態だと聞こえない、向かい合って座ることを拒否する夫婦、話しかけても何の反応も示せない入居者、など繰り返し繰り返し、「届けたいけれど届かない(届いているかわからない)」「しっかりと向き合えない」状態を提示する。だからこそ、最後にきちんと向き合って互いに想いを伝えあう洋子夫妻の対話が際立つ。

夫婦が交わし合う「あなたが好きです」という言葉。亡くなった息子のことも、今も変わらず愛しているという言葉。そして、殺害された入居者の母親の号泣(2シーンしか登場しない高畑淳子が本作で担う役割はとても大きい)。愛されていなければ生きる価値がないと言いたいわけではないだろう。反応がなかったとしても、伝えようとすることを放棄してはいけない。「死んでもいい人間」などいないということを、極めてシンプルに提示して映画は幕を閉じる。

これほどまで観客に問いを投げ返る映画は珍しい。本作は、観るものに対し「傍観者でいること」を許さない。役柄と本人自身とを結びつける映画の解釈の仕方は誤りだと基本的に私は考えているものの、あの役にオダギリジョーがキャスティングされていることも私にとってはかなりの衝撃だった。彼が叫ぶように放ったあるセリフを、私は決して忘れることはないだろう。それこそがすべてだと感じだからだ。「確かに生きている、生きようとしている」それ以外に生きる理由など必要ないのだ。


すべてのキャストに賛辞を送りたいが、特にさとくん役の磯村勇斗は凄まじい。目の奥が真っ黒に塗りつぶされたような虚無を抱えた、真っすぐな青年。あんな風に演じることができるなんて信じられない。

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