YAJ

ナポレオンのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

ナポレオン(2023年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

【悪女】

 よくも毎年、「大作」と称される作品を世に送り出せるものだと、御歳86のスコット卿の健在ぶりに、まずは拍手。

 直近は、『House of Gucci』(2022) ←日本での公開年次
 その前年は、『最後の決闘裁判』(2021)
 その前の『ゲティ家の身代金』(2018)はタイミング合わず見損なっているが、連投が顕著だ。
 この10年でも7作、生涯30余作品は、その半生で61回もの戦争を指揮したというナポレオンと比肩しても遜色ない多作ぶり。
 さらに来年には、『Gladiator 2』が待っているという。

 『Gladiator』の「1」で初めて見たホアキン・フェニックスは、それ以来なのかな、リドリー・スコット作品の出演は。
 今回はリドリー作品というより、ホアキン目当て。さらには、ナポレオンの対戦相手のロシア(の描かれ方)に興味があって鑑賞してみたもの。
 作品としては、さすが巨匠というスケールと、あまりの独善性や史実の独自解釈が相まって、とっちらかった印象は受けた。

 もともとナポレオンについても、小学生の頃に読んだ伝記程度の知識と、西洋絵画のモチーフとしての彼、その絵にまつわるエピソードくらいしか持ち合わせていない。曰く、雪合戦するような子どものころから陣地構築と指揮能力に秀でたとか、3時間しか寝ないとか、とある単語が載ってない辞書を持ってるとか(笑)、アルプス越えの騎乗の姿、戴冠式の大作といった絵画作品だ。
 小柄だった、地方の貴族の出など卑屈になり得る一面は知ってもいたが、鑑賞中鑑賞後も、「郷土の偉人をこんな風に描かれて、フランス本国の人はどう思うのだろうな・・・」という心配が先だってしまい、落ち着かなかった。

 戦場での彼はまだしも、プライベートでは、なんとも情けない、子どものような未成熟さが前面に描かれていて、作品の何に期待して観にいくかで感想は違ってきそう。
 とにかく、日本版フライヤにある「英雄か、悪魔か」という視点では、まったく描かれていないので、ご注意を!(ホント、日本のプロモートはセンスない)。

 惹句を添えるなら、「淑女か、悪女か」。そもそもタイトルも『ジョセフィーヌ』として、ナポレオンの妻ジョセフィーヌ目線を、より強調して描いたほうが良かったのでは?と思わせる。その二人の関係性、恋愛感情が、本作のメインテーマでもあり、史実には描かれていない創造の部分として面白くなりそうで、もっと見ていたい気がした。

 漏れ聞こえて来るところでは、本作Appleオリジナル作品ということで、後々Apple TVで配信もされるが、その際は、現状158分を270分にしたVer.が用意されているとか。ジョセフィーヌがナポレオンと出会う前の生活が描かれるなど、ジョセフィーヌ(ヴァネッサ・カービー)に焦点を当てたものになるらしい。

 うん、そのほうが面白いかもね。でも、そうなると、ジョセフィーヌは、ヴァネッサ・カービーじゃないのだよなぁと思うのだが、知られざる過去や、ビハインド・ザ・シーンの映像が加われば印象が変わるのだろうか。

 毎年、大作を制作し、更には劇場版、配信版と編集を変えるこだわりを見せる御大。ディレクターズカット版好きのSirだけのことはあるとは言え(笑) “老いてなお、気骨あるものは賞すべきかな” ( by Florence Nightingale )だな。



(ネタバレ含む)



 目を見張る合戦シーンや、ノートルダム大聖堂(例の戴冠式の場)をはじめとする豪華絢爛たる宮廷建築等、数々のシーンは眼福以外のなにものでもない。後世に残る絵画作品の構図そのままのスクリーン上の絵面も贅沢の極みだ。
 これは、巨匠にしかできない業だろう。大画面の劇場で鑑賞するに値する作品であることは間違いない。

 我が家的には、ロシアとの祖国戦争へのクダリが、ひとつの見せ場として描かれていて、そこも満足度が高い。また、巨匠による作品であり話題性もあると、いろんなネット記事(Russia Beyond)も出てきたりして、あれこれ読んで学びにもなる。
 ナポレオンの緒戦と言われるトゥーロンの戦い、ロシアとの雪上での戦い(アウステルリッツ)、冬将軍による敗走、そしてワーテルローの戦いなど、視覚体験として脳裡にしっかりと刻むことができて、大いに知的好奇心もくすぐられた。


 その一方、プライベートでのとことん情けないナポレオン像も、意外と悪くなかった。
 戦場でのプレッシャーで腺病質な精神が圧迫され、その解放の場をジョセフィーヌに求めたという、徹底した描き方は、かなり執拗で、むしろ滑稽さも滲み出ていた。
 ホアキンにしかできないナポレオンと言っていいだろう。

 惜しむらくは、戦場とプライベートのギャップを埋める、あるいは、そのギャップを生み出す要因、背景的なものが、もう少し丁寧に描かれていれば、両シーンの関連性や、ナポレオンの挙動への理解が得られたのではないかと思う。交互に描かれる軍師ナポレオンと一個人としての彼のシーンの繋がりの悪さが大いに気になった。

 そこを補えば、ジョセフィーヌに遠征先から恋々と手紙を送りつけ、返事が来ないことに悶々とし、まるで10代の片思いのような歪な夫婦関係も、もう少し納得感が得られたのではなかろうか。
 それにしても、大量の手紙を送り続けたこと、その文面も史実らしいから、人というのは歴史として語られた業績だけでは語れないものということか。

 作品タイトルは、ナポレオン自身の筆跡で記される。作中も、何度か書面にサインする場面が描かれる。最たるものは、妻ジョセフィーヌに宛てた手紙の文末、〆の言葉と署名だろう。
 恐らく、このタイトル表示も、ジョセフィーヌへの思いを込めた手紙の結びの意味での、手書きの筆跡を使ったのだろうと想像する。

 事程左様に、女房の手の上で転がされたかのようなナポレオン像が実に面白かった。故に、ジョセフィーヌ目線での物語による補完がもっとあって良かったのではと思うところだ。

 近年の過去作も、実は、女性の存在ありきの作品だと思っている。
 GUCCIの三代目を立派な当主にしようと画策するガガ様も然様。家父長系の旧社会の中で男性の所有物でしかなかった女性が命を賭して己の無実を訴え夫を決闘裁判にまで駆り立てるジョディ・カマーも、ある意味で、強い女性だ。
 どちらも、ややもすると不貞の悪女ではあるが、実は違うのでは?というのが、リドリー・スコットの描き方ではなかろうか。

 ジョセフィーヌも、定説では「悪女」のレッテルを貼られているらしい。劇場版本作での描き方では、まだ汚名返上とまでは至っていない気がする。
 が、ナポレオンが終生愛した女性であり、単なる「悪女」ではなかったのだろうということは感じられた。更なる補完は、Apple TVに期待だな(見れないけど・涙)。

 素直になりすぎないよう、敢えて悪女を演じる女性たち。それが当時は時代を生き抜く術であったのだろう。
 その哀しみも含めて味わうべき、なかなか見応えある作品だった。
YAJ

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