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わるい仲間 4Kデジタルリマスター版のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.3
 ジャン・ユスターシュの最初の妻は、エリック・ロメールが編集長を務めていた頃の「カイエ・デュ・シネマ」の秘書だったようで、ユスターシュは妻の退勤のタイミングに必ず毎日、編集部に妻を迎えに来る普通の運転手を装っていた。だから当時の「カイエ・デュ・シネマ」編集部には彼を警戒する者などおらず、風景の中に自然に溶け込んでいたのは想像に難くない。然しながら5分前に迎えに来ていたのが10分前になり、やがて15分20分30分と戦略的に少しずつ前倒ししていたのだという。そしてエリック・ロメールに首尾よく話しかけるユスターシュの姿があった。つまり彼のヌーヴェルヴァーグ勢への憧れは最初から歪んだリビドーとして成立していたのだ。長編映画の前に短編や中編を撮るヌーヴェルヴァーグの手法に倣い、彼も39分の短編を秘密裏に拵え、その0号試写にロメールを呼んだ。むっつりスケベ的なジャン・ユスターシュは妄想の中にあらかじめ絵を描き、それを粛々と実行に移す。『獅子座』を世に問うたエリック・ロメールが今作を嫌いになるはずもなく、彼はパリの外から出て来た労働者階級の青年の作品を素晴らしいと称賛した。

 街は退屈だと呟く2人の男がいる。2人はジャクソンとバルダミュと言い、最低な街を最高の風景にしようとある女性に声を掛ける。彼女はダンスホールに向かおうとしていて、そこで彼女の女友達と待ち合わせをする寸法だ。男たち2人はあの手この手で彼女を誘惑しようとする。ところが彼女には2人の子供がおり、明日から子供たちを養って行くために新しい仕事を始めるのだという。心底バツの悪い男と女の出会いがユスターシュの映画を輝かすスパイスだとしたら、今作の男と女の意識のズレは最初から明らかだ。新聞の三面記事を題材にした物語はヌーヴェルヴァーグのアイデアを模倣した習作の域を出ない。然しながらその後随分と野蛮な行動を取る男2人の大胆さは当時のエリック・ロメールやジャン=リュック・ゴダールよりも大胆で粗暴で随分と趣味が悪い。およそパリの都会人の振る舞いとは思えない。BARからBARへ。梯子した彼らに去来する思いは自分たちをひたすら舐めた行動をしたお母さんへの激しい憤りなのだが、声高に誰かを断罪したところで自分たちの生活には1mmも変化はない。スクーターに身を包んだ2人の背後に見える「Nouvelle Vague」のネオンサインは、才能が有りながらも階級の問題で追いつけなかったジャン・ユスターシュの遅れて来たヌーヴェルヴァーグ愛を感じさせる。
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