アランスミシー

ママと娼婦 4Kデジタルリマスター版のアランスミシーのレビュー・感想・評価

5.0
ガレル、トリュフォー、ロメール、濱口竜介

この映画の呪いによって自殺に追い込まれたユスターシュとその恋人に追悼の意を捧げる。

ママ=保守主義(子を産み育てる覚悟を決意)
娼婦=リベラル・カウンターカルチャー(次世代の事を考えず今目の前の自由主義を貫き通す)

米ソ冷戦に挟まれたあの時代の中で、頼りとしていた心の指針が揺らがされてしまった若者たち。
友人や恋人は都合良くリベラルに走っては、飽きたら保守主義に戻って来る。そんな周囲を相手しているうちに主人公はやがて自分までもがどっちつかずな存在と成り果ててしまう。

一見1番の罪人に見えるアレクサンドルだが、本当の罪人はその周囲であり社会なのだ。
アレクサンドルは自分の友人が保守だろうがリベラルだろうがどっちでもいい、それよりも許せないのはどっちの主義も利用して中途半端な行き来を繰り返す反逆行為なのだ。

「別れる時はハッキリと別れを告げるべき」=保守におさまる覚悟を決めたのなら、ヒッピー的な生活を続けるアナタとはもう関係を断ちますとハッキリ告げろよ!決して欲に駆られて自分の元に戻ってこないという覚悟をどうして決められないのだ?と言う意味

「僕は本気なんだ」という主人公の言葉は、移ろいやすい女たちのそれとは違い、本気であるが故に彷徨い歩いてしまっている主人公の孤独を体現してて物凄く悲しくなった。
彼は保守の時は保守に、リベラルの時はリベラルに、本気で覚悟を決めてなろうとしているのだ。
1人でも賛同してどちらかの派閥に落ち着く事を決めてくれれば自分も一生の覚悟を決めるのに、周りがズルい人間ばかりで翻弄されてしまう。

演技=保守やリベラルを都合良く演じる女たち

目的が自分の安定した生活の確保である女性たちが時代に合わせて簡単に主義を変えられるのに対して、生きる事よりも一つの主義思想に拘る事自体が何よりの目的である男性。
『男はつらいよ』の本質の全てはここにあるのだという事を全女性に理解して欲しい。
そして同時に全男性に理解して欲しいのは、女性やLGBTQや障害者らマイノリティが向上心の強い男性と違って人並みの幸福を求める理由は他でもなく彼女らが初めから欠陥を持って生まれてきたからである。
だからこそなんの欠陥もなく生まれてきた男性には彼女らの(自己保身の為に無意識に嘘をつくような)行動が理解できない。

でも一見優生に見える男性は、逆に人生の目的を見つける事に何よりも苦労するという現実が付き纏う。
マイノリティがその欠陥を埋めるという目的をすぐに見つけ人生の指針にできるのに対して、妊娠すらできない男性はそれぞれがそれぞれの人生の目的を必死になって探さなくてはいけないのだ。

現代、その男女格差がなくなってきた今、出産願望の割合も減って来た今、今度は女性がこれまでの男性と同じ悩みを持ち始める現象が拡大している。
だとすれば今こそお互いが手を取り合って協力し合うべきではないだろうか?

僕は自分がマイノリティである事を自覚して初めてようやく彼女らの行動が理解できるようになった。
ただ、その逆で女性が男性を理解する事はかなり難易度が高い。それは女性が社会的にマイノリティの立場である限り逆転現象を起こすのが難しいからだ。
富裕層が貧困を理解する事はあっても、貧困者が富裕層に生まれた人の悩みを理解できないのと同様。
優生として生まれた人が劣勢になるのは簡単でも、劣勢が優生化するのは難しいから。
でもこの逆転が起きなければこの社会の闇は永遠と消えないと思う。
弱きモノも一見強い立場に見えるヒトの”弱さ”を理解する努力をしてみる事はできないだろうか?

現代は更にそれが複雑化して、誰しもが自分勝手で簡単に主義を変えるような社会になってしまった。そして僕もその空気に呑まれて一度闇に堕ちてしまった。
この主人公はまるで過去の自分自身だったからこそ物凄く気持ちが分かった。
皆んなが抱える孤独の穴を埋めるにはお互いが歩み寄るしか方法は無いんだよ。
みんな違ってみんな良いというリベラル思想には大賛成だけど、その意味を履き違えて、自己中心的に生きてしまったら自分の為にも、自分が愛する人の為にもならないよね。
リベラルの良い部分、保守の良い部分をちゃんと見定めて本当の幸福を目指したい。


「フリーセックスなんてもう飽き飽き、大切なのは愛する人とのセックスだけ」とリベラルから保守主義への帰還を果たすヴェロニカ
それに対し主人公は両派閥の行き来を止め、自分の指針を再び見つける事ができるのか?