Ricola

ぼくの小さな恋人たち 4Kデジタルリマスター版のRicolaのレビュー・感想・評価

4.1
フランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』のように、監督自身が少年時代を描いた作品。
祖母との生活の穏やかさ、実の母親と恋人との生活での息苦しさと、思春期へ突入するもどかしさなどが、同情や共感を促すというより、我々を観察者という位置に置き、「一緒に笑ってやってよ」とでも言うような、自虐的かつ過去の自分を愛おしむような監督の思いが感じられた。


主人公の少年ダニエルは、悲しんだり諦めるなどといった感情を繰り返す。その感情がすぐに消え去ることはないが、それを重々しく作中ずっと引きずるわけでもない。それは彼自身が、というよりも、画面そのものが、である。ただこの暗転は彼の悲しみを葬るためだけに機能しているわけではない。
エピソードの区切りごとにじわじわと暗転していく。ダニエルがイタズラしてまずいことになったとき、親や周りの大人に失望したとき、自分という存在が認められないときなどに、申し訳なさそうに、または彼の尊厳を守るかのように、スクリーンはゆっくりと一度幕を下ろすのだ。

性、恋の芽生え。
周りの年上の友人たちに影響を受け、大人への憧れも半ば入り混じった状態から、彼は女性を知っていく。
近くのカップルの真似をして映画館で前の席に座っている女性にキスをしてみる。でも恋ってどんなものなのか、しっくりきていない。彼が恋らしきものを知るのは、相手とじっくり向き合ったときだった。

観察すること。それは映画を観るように、対象から少し距離をとって彼は見つめる。
例えば、閉店後の店の窓ガラス越しに、いつも男と逢瀬を重ねている少女をじっと見る。また、人通りの多いストリートのベンチに座って行き交う人間を見ていると、目の前で立ち止まってキスをするカップルが現れる。行きも帰りも、彼女のほうがキスの際に帽子を落とす。その様子をくだらないとでも言うようにダニエルは見つめる。またユスターシュ監督も、ダニエルとおそらく対角線上に位置するベンチでそのカップルを怪訝そうな表情で見つめている男性役で出演している。

少年ダニエルの成長と、環境や心の変化が淡々と映し出されるなかで、彼への同情よりもやるせなさや時折クスッと笑ってしまうようなおかしさのほうが多くあった気がした。
Ricola

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