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アデュー・フィリピーヌ 2KレストアのTnTのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

 精神が終わっていたので、あんまりにも青春してて輝かしくて羨ましくて、既に一人で劇場に赴いてるわけで寂しさと孤独で死にそうだった。映画館という場所で一人であることの居心地の悪さを一番感じたし、そのせいかクソ長く感じた。もうちょっと達観できる年齢で見たかったかも。

 現場のグルーヴ感みたいなのがどのシーンも全編ギチギチで、そこにおいてカメラはわりとドキュメンタリー的な見方をしていたりするが、もちろん劇映画の文法も巧みに持ち込まれ、グルーヴに身を任せてるように見せかけた非常に計算高い撮影をしていることがわかる。もしくはそのバランス感が優れているというか。先に見た短編のドキュメントと劇映画の混成みたいなのはジャック・ロジエの作家性なのかなと。ヌーヴェルヴァーグがネオリアリズモ的な思想から端を発したように、ドキュメント調であるのはそれが理由だと思われる。また現場でわちゃわちゃしてドタバタ喜劇みたいになっちゃうのはイタリア的な喜劇をネオリアリズモと同時に持ち込んだからかもしれない。後半出てくる歌ばっか歌うイタリア人はその系譜を示す最たるものだったように思える。

 今作がTV撮影の舞台裏だったり、撮影ラッシュだったりとにかく撮影の裏を積極的に見せていたことが、ヌーヴェルバーグの持つ新たなもののための古きものの解体だったように思う。撮影ラッシュの構図とか、フェリーニの「8 1/2」に結構影響与えたのかもと思わせるものがあった(ネオリアリズモからヌーヴェルバーグ、そして逆輸入)。今作は二人の女が男をたぶらかす構図だったけど、それをより主観的にしたのが「8 1/2」と言えないだろうか(「8 1/2」で若い女性二人に「監督は恋愛映画が撮れない!」と小馬鹿にされるのは、今作への引け目があるからか)。その他、今作の影響を見て取れたのがジャームッシュ作品で、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」は男二人女一人という今作の逆転バージョンだったと言えそうだ。あとコルシカ島の石しかなくて蜂に追っかけ回される最低バカンスも、Stranger than paradise(パラダイスを凌駕する異人)というタイトルとぴったりだろう。ちなみに「ストレンジャー〜」のエヴァは今作のリリアンにちょっと似た雰囲気だった(今作はより小悪魔ぶり炸裂だったが)。あと「ダウン・バイ・ロー」的なしっかりくっついた男女とそれを俯瞰する人という構図も今作に出てきた。

 恋の駆け引き、気まずすぎる空気、嫉妬とその復讐の笑み(ここでのリリアンのクローズアップの強さ!)、全然良いことひとつもないな青春。でもなんか人生の幸福を思い返して、話などする時決まって得た傷の話が多くなる気がするのだ。ある意味であの時の生きた証みたいなものだったんだと思えるわけで、今作のそうした傷の多さは、自分が避けてきたことばかりだったなぁと思うのだ。人生、辛いこと避けてきたけど、決定的な瞬間を自分は逃げてきたんだなと、それが今作を見た後に暗い気持ちになった原因だったのかもしれない。フェリーニの「8 1/2」を昔カットごととかセリフ書き起こしたりとか中途半端にしたことがあったけど、徹底的に傷になる瞬間が省かれている(ここもまた逆輸入でヌーヴェルバーグの省略力を借りたと言えるかもしれない)。映画の構成自体が主人公と同じ”逃げ”を行なっているのだ。もし今作がフェリーニに影響を与えたなら、その傷に真摯に向き合ってきたかという自分と同じ疑念をフェリーニも抱いたのではないかと思えたのだ。
 
 長くくどいと感じる部分も多かった。ラストの船と岸の切り返しは何度行われたことか。背景の徴兵という重さ、それを感じさせない楽観さだったのに、今作のこの距離が離れることをジリジリ描くことが、きっとその裂け目の重大さを象徴しているように思えた。劇中に発せられると思った(そして遂に発せられなかった)「アデュー・フィリピーヌ」というタイトルの意味合いがジンワリ沁みてくる。
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