パングロス

身代わり忠臣蔵のパングロスのレビュー・感想・評価

身代わり忠臣蔵(2024年製作の映画)
1.6
かつて、邦画全盛期においては、忠臣蔵ものと言えば、各映画会社が名だたるスター、名優を揃えたオールスターキャストで社運を賭けて制作に臨んだものである。

それも今は昔、現在では忠臣蔵どころか、時代劇というジャンル自体が絶滅の危機。

男女逆転『大奥』だとか、中華ネタだが『新解釈三国志』だとか、新解釈や珍説もの、ないしは軽いコメディ時代劇ばかりがスクリーンにかかる時代となった。

本作も御多分に洩れず、忠臣蔵の新解釈ないし珍説による時代劇コメディ。

ただし、すこぶる出来が悪い。

【以下ネタバレ注意⚠️】





忠臣蔵の発端、松の廊下の刃傷沙汰の被害者側である吉良上野介、歌舞伎の高師直は、あらゆる悪役のなかで最も格の高い、言わば劇界の大御所が演ずる役どころだ。
浅野内匠頭を陰険にイジメるだけでなく、そこには気位の高い高家をつとめる気品と風格が必要とされる。

ところが、本作の吉良を演ずるムロツヨシには、まったくその気品も風格もない。
相手役の浅野を、歌舞伎界の若手ホープ、尾上右近が演じ、こちらの方はさすがに本寸法だが、力量不足の敵役を前に、彼をしても本領を発揮しかねている様子であった。

時代劇における演技の要諦は、それぞれの役の身分に相応した「それらしさ(=格と気風)」を、いかに醸し出せるかにある。

ムロの演技だけでなく、本作は、この時代劇に必須の「身分社会」の約束ごとを平気で無視している。

「身代わり」となるムロ二役の吉良孝証も吉良家を放逐された身と言いながら、いやしくも上野介の末弟である。
そして、仮にも、上野介の代わりに「当主」「殿様」の座にすわるのである。
それなのに、家臣の清水一学(寛一郎)は、主君である孝証のことを「お前」呼ばわり、あるべき敬意のかけらも見せない。
江戸時代には、絶対あり得ないことだ。

また、終盤、吉良の首級をアメフトのボールよろしく、蹴り上げたり、堀部安兵衛(森崎ウィン)が宙に飛んだ首の切り口を刀に刺したりするが、これも、絶対にあり得ない。
たとえ敵方の首とは言え、敬意をもって丁重に扱うべきだ。

そもそも、コメディとは言いながら、本格的なコメディアンはムロのみ(ほっしゃんも原郷右衛門を演ずるがコメディシーンはなし)。
これを観ると、いかに腐されようと、福田雄一の『新解釈三国志』の方がキャスティングも、演出も、よほどちゃんとコメディになっていたことが想起されてしまう。

新解釈ものとしても中途半端。
結局、討ち入りは実行され、身代わりの命は無事でも本物の上野介の首が取られ、四十七士は切腹して果てる。
何が何やら、脚本家、監督は何を見せたかったのか?

寝不足もたたったのだが、中盤あたり10〜20分ほど、最近では珍しく寝てしまった。
目が覚めてから、序盤で感じた欠点が少しでも改善されていたらと半ば期待もしたが、見事に裏切られた次第。
パングロス

パングロス