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市子のumisodachiのレビュー・感想・評価

市子(2023年製作の映画)
4.4


自信主宰の劇団チーズtheaterの旗揚げ公演として上演した舞台「川辺市子のために」を、戸田彬弘監督自らが映画化。

夏のある日。長谷川は3年間交際してきた市子にプロポーズをした。しかし、涙を流して喜んだはずの市子は消えてしまう。しばらくして訪ねてきた刑事は、市子という女性は存在しないと語った。市子とは何者なのか?時系列を前後しながら市子の人生を追う物語。

社会の隙間に落ちてしまった存在が、複合的な事情によってがんじがらめになってしまうという悲劇性と、市子を演じる杉咲花のキャラクターがシャープに効いている快作。どう見ても可哀想で被害者に見える市子の姿を幼少期から追っていくことによって、観ているこちらの認識も揺さぶられていく構造が見事だった。

市子自身は多くを語らない。いわゆる『羅生門形式』で綴られていく本作で言葉を重ねていくのは、市子の人生の折々で彼女に関わった人々だ。ある者は踏み込んだ結果として逃げ、ある者は適度な距離を保っていたため真実に辿りつけず、ある者は履き違えた感情を市子に抱き、ある者は明確に市子を傷つけた。すべての人間は彼女を救うことに失敗したし、多かれ少なかれ加害性を帯びていたといえるだろう(積極的な加害なのか、消極という名の加害なのかの違いはあれど)。

誰かと関わる時の距離の取り方は難しい。私自身「これ以上は踏み込むべきではない」と思ったこともあれば、「踏み込むべきだ」と思ったこともある。これまで関わってきた多くの人々の顔を思い浮かべながら徐々に解き明かされていく市子の人生を呆然と眺めるしかなかった。

ほぼ全ての人間は、華奢で無口な市子を「守ってあげたい」と感じていた。しかし、市子だって人間なので、ただ受動的なままでいるはずがない。市子は何を考え、どんな意志を持って行動していたのか?私たちは市子を知った気になっていただけなのではないか?ということを鮮烈に投げかけて映画は幕を閉じる。ただひとつだけ確かなのは、彼女が「市子」と名乗ることにこだわっていたという事実のみだ。

すべてを諦めながらも、市子として生き続けることだけは諦めない市子。杉咲花が見事なフォームで駆け抜けるショットが忘れられない。

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