ドラミネーター

市子のドラミネーターのネタバレレビュー・内容・結末

市子(2023年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

 発展途上国を映したドキュメンタリーや、戦争映画などを観たとき、「ああ、毎日何事もなく、"生きている"のは幸せなことなんだな。」と感じるのと、本作のように無戸籍やマイノリティの人を描いた映画を観て「ああ、毎日何の苦労もなく"生きている"のは幸せなことなんだな。」と思うこの二つの"生きている"は少し含んでいるものが違うということに気づいた。
 前者は生物学的な意味であり、いわゆる「死」と対極に位置付けられる「生きている」または「(大した苦労をすることもなく)生きられる」幸せの実感である。
 後者は社会的な意味合いにおける「生きる」であり、本作は自分が生活している社会においてその存在そのものが「ない」とされるような、究極のマイノリティを描いている。

 戦争映画を観た時に「生きててよかった。これからは毎日の当たり前に感謝しよう。」とは、割と誰でも思うかもしれないが、本作のような映画を観た時に「社会問題」と一歩引いて捉えるのではなく、「自分がこの社会に存在を認められており、所属できており、社会生活を営むことができているのは実は◯◯なことなんだな。」と感じることは、実はあまりないのではないだろうか。現に、僕もこの◯◯に入る言葉が「幸せ」なのか「恵まれている」なのか、的確に僕の感覚を表すような言葉が見つからない。それは、これまで自分がそこに目を向けていなかったり、感受性を研ぎ澄ませていなかったからだろうか。

 「今のように生きていて/生きられてよかった」の中に含まれる多様性に気づけたという意味で、本作は自分にとって価値のある一本となった。