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彼方のうたのSQURのレビュー・感想・評価

彼方のうた(2023年製作の映画)
4.0
映画が始まって、「この人はどういう人なんだろう」と想像する。
なんで話しかけたのかな?とか知り合いなのかな?とか。
そうやって想像するのはすごく自然なことだし、それが自然だというのはいつだって「この人のことを理解したい」と思いながら映画を観ているということなのだと思う。

ちょっとした仕草とかからその人の人となりを想像していく。
にもかかわらず、この映画はちっともそれで功を奏したなという印象を与えてくれない。

ハルさんのいちばん大きな人生のストーリーが見てこないがために、場面場面においてもその想像は想像の域を出ない。
「きっとこう感じているのだろうな」とは思うものの確信に変わるタイミングは永遠に訪れないのでやがて観ているほうも疲弊していく。

しまいには、キノコヤの開きっぱなしになった扉の外から流れ込んでくる春の新鮮な空気を想像して清々しい気持ちになったりまでした。
春の風の方が、ハルさんよりもよっぽど確かなものに思えて、言ってしまえば彼女のことを想像する諦めて易きに流れたということなのだろう(そういうことができるのも映画の良さだけど)。

自己と他者の間にある最後まで乗り越えられず残ってしまう部分に強烈にフォーカスした映画だった、と言えると思う。

その「ハルさんの物語」に対する想像における空白は、決して画面に映されることのない住居と重なり合う……(では、”‬居住地‪”‬を知ることさえできればその人のことを知り得たと言えるのだろうか?)。

ここまで考えて、やはりこの映画も「孤独」を描いているのだと思う。
『ひかりの歌』ほどに明確に描かれていないけれど、観客すらも遠ざけてしまうという孤独なのだと思う。

そうした絶望の上で、登場人物たちはコミュニケーションを紡いでいく。
そこで交わされる言葉や感情は、その基盤が不可知であるがごとく、空虚であると呼ばれるべきものなのだろうか。
その点は、本映画が答えを持っていないテーゼであると感じた。

p.s.その中でもっともハルさんに近づけるのは、ハルさん自身ではなく、ハルさんに向けられる他の登場人物の表情だったりする。
鏡のようにハルさんという人間の不可知領域を映した他者の顔の中に観客がハルさんを見る、という心的構築の連鎖には少し祈り的なものを感じる。
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