あかぬ

彼方のうたのあかぬのレビュー・感想・評価

彼方のうた(2023年製作の映画)
4.5
己の孤独との対峙と救いについて。

(あくまで推測でしかないが…。)
書店員の春はこどもの頃、身の回りで起きた事件の悲しみと長年向き合えずにいた。春はその事件を知る(と思われる)雪子と剛に久しぶりに声をかけ、ふたりと過ごしていくうちに自身の孤独や過去の悲しみと向き合っていく……というお話。

物語の肝になるホーム?での事件についての描写が極端に少なく、その日何が起こったのか、春と剛との関係性なども情報が無さすぎるがゆえに推測すらできない。春が我々には言いたくないと主張しているかのように、過去についての描写はほぼ削ぎ落とされていて、それはもう断絶に近い。
セリフはすべて文字に書き起こしても数ページに収まってしまうほど少ないうえに、極限まで省略された曖昧なものばかりなので、鑑賞後パンフレットの脚本を読み返しても物語の全貌が全く見えない…。
一方、ふつうの映画ではほぼカットされてしまうような、なんでもない街の景色や通行人の様子、食事シーン、人がただ歩いてるだけの姿に割り当てる時間がとてもとても長い。
少し不親切すぎやしないかい、とも思うが、多くを語らないからこそふつうの映画では見落としてしまうようなちいさな要素がうっすらと見えてくる。
言葉から物語や人物の思いを推察するのではなく、言葉と言葉の間であったり、しゃべり方に笑い方、歩き方やちょっとした仕草から、本編では描かれない空白の部分を想像してみる。

まず、今作の主人公春は今までの杉田監督作品の登場人物と比べてかなり異質な存在だと思った。
冒頭の道が分からないふりをして雪子に話しかけるシーンでは、その高くて明るめの声のトーンや、よそよそしいしゃべり方から私は気味悪さを感じとり、初っ端からかなり面食らってしまった。若い女の子がスマホ差し出しながら道聞くとか、ふりだとしてもわざとらしすぎるし、何を考えているのか、どんな性格なのか、全く掴めない…。あのガラス玉みたいに美しい小川あんの眼の奥に底なしの闇があるみたいで本当怖い…。
今まで観た杉田監督作品の登場人物はみな発語や佇まいが演技だと思えないくらいとても自然で、そういうところに心地よさを感じていたからこそ、なんだかいつもと様子が違う主人公に不安がよぎった。
しかし、杉田監督があの演技でOKを出したのだ、何か意図があるはず。ということで春という人物について私なりに考えてみた。
前作『春原さんのうた』では、大事な人を亡くした悲しみを抱える主人公沙知が、周囲の人々に支えられ、見守られながら少しずつ再生していくというお話だが、自分のことを気にかけてくれる人が周りにたくさんいる沙知とは違い、春は孤独。
長いあいだ孤独な時間を過ごしてきたのか、春は自然な人との接し方がよく分かっていないように見える。春は単に不器用な人間、そう考えると、異様に距離を詰めるのが早かったり、人前でとにかく良い人であろうとするところなどなど、本編で感じたあの数々の違和感にも納得がいくような気がする。
受け身だった沙知に対して、春は積極的に自ら周囲にアクションを仕掛け、自分自身でその孤独を埋めようとしていた。しかし、誰かと一緒にいてもふと自分はやはりひとりなのだと思い返ってしまう瞬間があり(お食い初めのシーン)、道の途中で俯いたまま動けなくなったりする。
ラスト、春の隠していた孤独に気づいていた雪子が優しく抱擁しながら放った「だめだよ」というあの一言には、あなたはもう独りではないよという力強い優しさと愛を感じて、思い出して思わずなみだ…。もう一度観させてくれ。

「大丈夫」と言ったって本当は大丈夫じゃない時ってたくさんあって、そういう時に、私は近くにいる大切な人の些細な表情とか仕草を見逃したくないなとこの映画を観て思った。
噛めば噛むほどじんわり旨みが広がる、スルメみたいな映画だ。
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