この映画自体、観た人によって解釈が分かれるらしき点にクオリアというタイトルらしさがある。特に主人公の優子が言葉少なな人なので、優子の心情に関しては観た人の数だけの解釈がありそうだ。あらすじはあらすじにおまかせで。
主要な登場人物がみんな歪な愛情を育んでいて勘違いとすれ違いがあり、同時に彼・彼女らは鶏のメタファーでもある。すれ違いはたいてい解消されないまま流れていくので結局誰がどの事実を把握してるのかはっきりとはわからないままだ。なんだけど、僕自身が男だから肩入れしている可能性を差し引いてもとにかく雄鶏が不憫。
一方、雌鶏は空を飛んでみたり。自ら課した刑期を終えたのなら、処分を待つ代わりに羽ばたいてもオーケー。ただし、脳がそうとらえるのならどこであれそこは刑務所なのだから、しかるべき時までのお勤めはしっかりとこなす。私に任せてください、という言葉には2回とも嘘はなかった。
もし、空飛ぶ雌鶏のなかに問題の雄鶏も混じっていたのなら、そいつはやることをやって空まで飛んで、幸せだったんだろうか。それはなんとも言えない。実際、鶏の幸せがなにかなんてわからないし、他人の幸せなんてもっとわからない。自分の幸せだってあやしいもんだ。
==
インスタかXかで知って鑑賞当日にチケットを購入。残席わずかで人気なんだなと思いつつ、今日も舞台挨拶があるとは知らなかったのでラッキーだった。結局満席だったらしい。