はぐれ

悪は存在しないのはぐれのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.3
濱口竜介監督の最新作であの『ドライブ・マイ・カー』の次の長編作品。

不穏なほど美しい雪化粧の残る大地や木立の映像とこれまた胸騒ぎを覚えるほど美しい石橋英子のストリングスの響き。人知の及ばない異様な世界線にいきなり放り込まれたような錯覚をさせられる秀逸な冒頭部。そこで芽生えた不安の火種は終始くすぶり続け、ラストへ向かって山火事のような大火へと燃え広がっていく。それも観客に気付かれないように音を立てずに静かに、それでいて俊敏に。

大自然の片隅で慎ましやかに生きる父娘。そんな2人の生活を脅かすグランピングの建設計画。説明会で区長が語った「上流の方でやったことは必ず下に影響します。上の方に住んでいる人間にはそれなりの振る舞いが求められるんです」というセリフ。なんて含蓄のある言葉だろう。長野のイチ山間部だけの話ではなく現代社会の全ての問題について言及しているようにも聞こえる。その直後に登場する説明会に不参加をした芸能事務所社長の笑ってしまうほどの心のこもってない無責任な発言との対比がとにかく強烈。そう言えば昔のお金持ちって上品だったよね。なぜ上品に振る舞っていたかと言うと金で解決することが下品だって知っていたからなんだよね。

均衡の取れていた穏やかな山間部の村に、まるで銃弾のように撃ち込まれた「クズしかいない」芸能界からの傲慢な資本の論理。「問題はバランスだ。やりすぎたらバランスがくずれる」とは同じく説明会で語った主人公のセリフ。一度崩れたバランスは2度とは元に戻らずに、小さなコミュニティーでの人間同士の繋がりも自然の生態系もされるがままなのかと言えば決してそうではない。その答えがあの衝撃のラスト何じゃないかと思わざるを得ない。

悠久の自然の力をなめんじゃねーよ。お前ら人間の営みなんて地球の歴史から見たら微々たるもので、そんなイチ芸能事務所の起こした些細な波紋なんかはより大きな自傷的な破壊によって完全に精算してしまえるわ。って言われているような気がして仕方がない。だって関係者から死傷者を2人も出してしまった場所に誰がグランピング施設なんか建設出来ると思います。仮に建てれたとしても誰が呑気にキャンプを満喫出来ます。
手負いの鹿の存在に引っ張られている感はあるが、この映画のラストともののけ姫のラストのデイダラボッチの振る舞いが重なって見えて仕方がない。自らの一族を皆殺しにしてまで守り抜く自然界の均衡。だから主人公は「村の便利屋」なんかじゃなくて実は人知を超越した森の番人だったんじゃないかと。もちろんあの手負いの親鹿もね。そう思えばあの一見不条理に思えるラストも得心を得る。そこに悪は存在しない。殺しさえも動物達にとっては生きていく上で必要不可欠なものなのだから。

そう考えると今回の騒動の発端となったグランピング事業も元はコロナ禍対策の補助金狙いであって、我々が苦しめられてきたそのコロナウィルスにしたって自然界のバランスを崩しすぎた人間社会と自然界との均衡を元に戻すための自傷的な破壊行為だったのかも。もちろんそれは毎年のように起きる台風や地震や火山などの自然災害に対しても同じことが言えるわけで。
いくら人間が文明を極めて世界の覇者になったように我が物顔で振る舞ってみても、地球がちょっとくしゃみをするだけで人間の生活基盤なんて簡単に吹き飛ばされてしまう。実はそんなテーマもあのラストには内包されていたのかなーなんて邪推してしまった。
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