花火

悪は存在しないの花火のネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

議論を呼ぶラスト、個人的には「何かが終わる前に立ち会えるか」ということではないかと思う。『ドライブ・マイ・カー』の家福は音の死に間に合わなかった、『寝ても覚めても』の亮平が朝子に会ったとき彼女は既に麦と出会っていた、『天国はまだ遠い』の三月はとうの昔に亡くなっているし、『ハッピーアワー』で物語が本格的に動いていくのは純の裁判と彼女の失踪からだがその後描かれる3人の問題は元々それより前から問題としてあった、そしてその作品性質上"事後"でなければ作り得ない『なみのおと』『なみのこえ』がある。という風に、濱口竜介の映画には終わったあとを生きているという感覚がある。それに対して本作は、グランピング場の工事はまだ始まっていない(本気で改善しようと思えばまだ引ける段階にある)し、ラストも大美賀はしっかりその場に立ち会っている。ついに間に合った、それが本作を「濱口竜介の新境地」足らしめているのではないかと。

『EVIL DOES NOT EXIST』のタイトルが表示されるのに合わせて美しい音楽が鳴り、木々の間を垂直に見上げたカメラが前進していく。幹と枝が画面の下から上へと流れていくなか、高いところにある枝、カメラにより近い低いところにある枝、そして曇天の上空と、層のように重なって見えてくる。キャスト、スタッフ表記の画面で2回中断したあと、3度目の画面で雪を踏みしめる音がして、カットが変わり上を見上げ森へ入っていく少女の姿が写される。その画面が切り替わらないうちにチェーンソーの音が響き渡り、大美賀均が丸太を切っている光景に変わる。チェーンソーはもちろん、振り下ろされる斧、薪を投げる音と、かなり暴力的な響きが伝わってくる。そして薪を割る→手押し車に乗せる→家に運ぶまで、同じ位置の右へのパンだけで写し切る、シンプルだが確信に満ちた画面構成。玄関脇に薪を積んだあと、一息いれてタバコを吸うその画面で、吐き出した煙が立ち上るのを見逃してはいけないだろう。

大美賀が湧き水を汲む場面で流れてきた枯れ葉を柄杓ですくい外に捨てる動き、大美賀が薪割り破片が小坂竜士の足元に飛んでいきその後自分も試していいですかという展開につながるなど、明らかに狙ったのではないだろう出来事がひときわ輝いて見えるのが良い。

汲んだ水を車まで運んでいく途中に大美賀が丘わさびを発見するくだり、低い位置のカメラを大美賀がじっと見つめたかと思うと、次のカットはそのわさびのアップの画面になる。つまり見る大美賀から見られる草という人とそうでないものとが切り返しで編集されている。同じように森の中で放置されている鹿の死体とも劇中2度(大美賀と西川の親子、渋谷)視線切り返しが発生しているのが印象深い。

大美賀が西川を迎えに行った公民館前駐車場でのショット。画面手前で子供が静止しているなかカメラが右にスライドしていき、駐車場に大美賀の運転する車が奥から入ってくると、「だるまさんが転んだ」のかけ声とともに子供たちが動き始める。あるいは夜中の真っ暗な屋内に外から光が差し込むと、中で大美賀がピアノに向かって座っている。というように本作には、最初のうちはそれがなにか分からないけれど、見続けているとそれが何なのか分かってくるというショットが度々現れる。あの左への移動撮影、森の中で大美賀が西川を探して歩いていると、画面手前の地面がせり上がり奥の方にあった彼の姿が見えなくなるがそのまま左に動き続けているとやがて地面が下がり奥にいた大美賀は西川をおぶっている、というマジカルな撮影も、見続けることということに接続している気もする。

説明会のシークエンスはほとんどがフィックスで撮られていることもあって、まるで裁判映画のような趣がある。話し合いが紛糾しかけたとき、掴みかかりに行きそうだった鳥井雄人を制止して立ち上がり話し始める大美賀は、それまでと同じ調子のぶっきらぼうな話し方が場をとりなすのに説得力を持ってくる。その後田村泰二郎が付け加えたあと、左に移動しつつ右に首を振る撮影がそれまでのフィックスと明らかに異なり、この場面が終わるというのを予感させている。それでもって終わったあと、車で去る田村に近寄る小西と渋谷を写した画面は、外のアスファルトの濡れ具合といい子供が遊んだあと放置され無造作に転がっているピンクのボールといい、やたら戦慄させられる感じがある。
それとその説明会が始まってから並行してそこを去った西川の様子が描かれるが、ここでの空を飛んでいる鳥を写したカメラが急にガッとティルトダウンして地上の西川を写すカットはなかなかビックリした。

芸能事務所での小西・渋谷らと社長・コンサルらとの会議シーンは、コンサルはその場に居なくてMeetの画面上にしか表れないし、社長が2人に説得してこいと指示して企画書を放り投げる姿もまたMeetのモニターを写す形で表されるし、基本的に信用ならないものとして表現されているのが面白い。一言もバカと言わずあれだけ地元住民をバカにして話せるコンサルはもう逆にすごいとしか。

水挽町に再度向かう高速の車内での小西と渋谷の長い会話場面。「会社辞めたら?キャンプ場作るために入ったわけじゃないでしょ」「グランピング場です」「知らねえよ、興味ねえよ、なんでオレがそんなことやんなくちゃいけねえんだよ!」と小西が激昂するシーンは、その彼でなく渋谷の方を写しているのが良い。この車内の会話は、まさに台詞を書く名手といったところ。

そして本作随一と言いたいカット。怪我をした渋谷が大美賀の自宅に残っていたところ、彼女がベランダに出る→画面右の薪ストーブから発生した白煙が煙突から出てくる→風に流されて左へと伸びていき画面全体を覆う→画面左にあった西日から差す光が煙によって可視化される、というこのショットはもうソクーロフの域に達しているのでは(3回観て3回とも鳥肌が立つくらい痺れて震えました)。そしてこの画面が忘れ難いのは、冒頭で薪を割っていた大美賀が吸っていたタバコの煙の拡大版に思えてならないからだ(上流/冒頭で起きたことは積み重なって下流/終盤に影響する)。
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