娘のお迎えを忘れてしまう父親
学童で8歳の女の子を一人帰してしまう大人たち
湧き水をボランティアで汲んできてくれる相手からお代を180円まできっちりもらおうとするうどん店
悪だらけなんだから、明確に悪と規定できる存在はないということか
本来襲うはずのない鹿が手負いの子鹿を連れていることで娘を襲った。
手負いの娘を抱えた父が彼を襲ったのは、行き場のない怒り?自分への怒り?
森に精通する自分は静かに見守るしかないと思いつつ、咄嗟に娘を守りにいけなかった、鹿は別のところに行くんじゃないかと言ってしまう都会の人間のほうが見ず知らずの娘に対して人間的だった、そういう怒りなのか。いや、単純に迎えを忘れてしまう自分への怒りなのか。両方なのか。
冒頭の薪割りや水汲みのシーン、非効率で永遠に続くのでは思わせられる、都会の合理的な生き方とは正反対のもの。その生活リズムはゆったりしていて映画序盤のリズムでもあり、後半に向けての緩急の緩を担いつつフリにもなっている。