鹿苑寺と慈照寺

悪は存在しないの鹿苑寺と慈照寺のレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.6
最後まで観ると、「悪は存在しない」というタイトルがしっくり来る。確かに「悪」は存在しない。

自然豊かな村にグランピング場建設の話が持ち上がる。森の環境汚染や水質汚染が懸念される中、やがて村に住む便利屋の巧と娘の花の生活も影響を与えるようになる。

本作の作風にぴったり合う緩やかな美しいオープニングから物語は終始流れに身を任せるようなゆったりとした展開。そして、唖然とするほどの唐突なエンディング。

すべてを汲み取れた訳ではないが、住民説明会での区長の言葉が示唆的だった。

「水は上流から下流に流れる。上に立つ人間の行いは全部下に流れてくる。だからといって下に流せばいいという訳ではない」(意味するところはこんな感じだったと思う)

物語は
上流 = グランピング場建設を進める芸能事務所
下流 =住民
という構図で、これに対して建設推進派と反対派の対立構造ができている。
この手の構造って色々な問題にも当てはまるから面白いのだけれど、それにしてもこの対立構造に対する主人公のスタンス「賛成でも反対でもない。バランスを取っているだけ」が興味深い。この主人公のスタンスが結末に大きく関わってくる。

確かに物語の中に悪は存在しない。

村の住人は村の環境を守ろうとしているだけ。
グランピング場を作ろとしている人も村の環境を壊したいわけではない。自己の利益を追求したいだけ。
鹿狩りをする住人も悪とは言い切れない。
でも、それらの歯車が微妙に食い違って、交わり合ったらどうなる?

自分の中でもある一定の解釈は出来たけれど、他にも色々考える余地のある作品だなあと思った。素晴らしい。

以下は個人的なメモ
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スローテンポで始まる冒頭。住民説明会からぐっと引き込まれる。

区長の言葉「水は上流から下流に流れる。上に立つ人間の行いが全部下に流れてくる」

「都会の人間は観光地にストレスを捨てに来る」という鋭利すぎる指摘。

鹿は人間を襲わない。だから鹿の通り道にグランピング場を作っても問題ない。手負いの鹿は襲ってくるのでは?そもそもなんで手負いの鹿がいるの?あれ?村の住人は鹿狩りしてなかったっけ?
だから、花は鹿に襲われた。巧は都合の悪いものを見せないように首を絞めた。あくまでバランスを取っただけ。
これは一面的な解釈?

そういえば、主人公の態度は最初から「賛成でも反対でもない。バランスを取っているだけ」

マッチングアプリの通知が来ちゃって見られちゃうのが絶妙に面白い。最初なんで笑い出したのか分からないところにスマホの通知画面を見せて笑わせに来るのがめっちゃスマート。
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