犬好き男子の映画レビュー

悪は存在しないの犬好き男子の映画レビューのネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

素晴らしい映画でした。映画を観たときに、「あぁ、誰かと観に来て鑑賞後語りたかった」と心から思いました。
初見で感じたことを記録します。

◇善悪の定義は、相対的に決まるもので、思ったよりもあいまいな概念ではないか。
・村の住民にとっては、新しいグランピング施設の開発により、水資源や治安といった現状が脅かせられる可能性があり、開発事業者を悪だととらえている。
・開発事業者の芸能事務所の職場の対話シーンでは、村に説明会に行った担当者の苦悩と葛藤が描かれており、彼ら自身も村をないがしろにして施設を開発したいと思っていない様子。その様子を第3者の視点で見ていると、「悪」とは思えない存在。
・芸能事務所の社長と、コンサルタントは、村の意向とは関係なく開発を進めようと躍起になっている様子が描かれているため、彼らは本映画においては「悪」に見えるかもしれない。でもこの映画には描いていない裏側で、彼らの本心や苦労などが存在しているはずで、それらを見たときに果たして彼らを「悪」だと断言できるのだろうか。
・村の中にも、外部から移住してきた住民は一定数居る。彼らの移住によって、環境が破壊されてきたようなことは過去にもあったかもしれない。過去を振り返ると、彼ら自体も自然から見ると、「悪」に見えるのかもしれない。
・様々な立場から見たときに、各視点から見た相対的な悪を定義づけることはできるかもしれない。ただ、絶対的な「悪」とは何かを我々人間が捉える、もしくは定義づけることはできないのではないだろうか。そういう意味で、「悪は存在しない」というタイトルが、鑑賞後徐々に胸に刺さってくる。
・水は上から下に流れて、上流でやったことは下流に影響する。人々の行ったことが、あらゆる角度から積み重なり、どこかに溜まりこんでしまい、何か大きな問題になりうる。まさに今の社会の縮図なのではないかと感じた。

◇気になった場面や設定
・帽子をとる仕草:主人公の親子がそれぞれ帽子を脱ぐシーンが印象に残った。主人公は、説明会のシーンで2回目の発言をする際に帽子を脱ぐ。娘は最後の鹿の親子と対峙(おそらく触れ合いに行こうとするのではないか)するシーンで帽子を脱ぐ。何かこの仕草には意味があるはずと考える。いずれも共通するのは、自分とは異質なものに触れあおうとする場面だと感じた。心を開こうとしていることを、映像として残したものなのか。
・映像の視点:車の後方の窓から景色を映すシーンや、丘わさび視点で登場人物を映していると思われるシーンなど、誰の視点だろうかと考えさせられるカメラワークが散見された。これは、「悪」をとらえる視点を人間の視点だけではなく、その他自然などにも拡張して考えさせることを意図したものなのかと感じた。
・牛の堆肥:主人公の娘が牛に餌をあげて、その後に糞尿が積まれた敷地を横切る娘のシーン。なくてもいいのにと思うが差し込まれている場面はどういう意味があったのだろうか。
・忘れっぽい主人公親子:「忘れすぎですよ」というセリフ、娘の迎えに行くのを2回も忘れる主人公、バッグを置いてくる娘、1回見ただけではなぜこんな設定をつけたのかあまり理解できなかった。

◇結末のとらえ方
・おそらく、最後の土地はグランピング建設予定地ではないだろうか。鹿の通り道というセリフとも合致する。
・娘は、手負いの鹿に襲われてしまい、怪我をしてしまったのではないだろうか。それを父が抱えて、その土地から去っていく。
・芸能事務所の人を、主人公が羽交い絞めにしたのは驚いた。一瞬殺してしまったのかとさえ思った。芸能事務所の人は、手負いの鹿が人を襲うかもしれないという発言をしたので、娘を助けに行ったはず。ただ、それを主人公が止めた。止めた理由は、手負いの鹿が人を襲うかもしれないという彼の仮説を確かめたかったからなのか。それによってグランピング施設を作るのが危険だということを肌で知りたかったのか。

※おまけ:東京の劇場はほぼ満席。もう少し上映館数を増やしてもよいのにと思う。濱口監督の「偶然と想像」も渋谷のBunkamuraの劇場で拝見し、今回もBunkamuraで上映しているということで、濱口監督のご意向があり、館数を絞っているのではないかと予想している。