全編に流れる石橋英子の音楽が素晴らしかった。
弦楽器の重音で、微かな明るさと、それを搦めとるような闇を表現している。
固定カメラでゆったり映された八ヶ岳の森に、底なしの不安感を植え付ける。
本作の特徴は、普通に見れば明らかに「悪」とされる、美しい「水挽町」にグランピング施設を打ち立てようとする芸能事務所の社員が、どこか憎めない存在として描かれている揺らぎだろう。
水挽町自体ももとは開拓農地であり、本来住民のほとんどが「余所者」だったという説明には説得力があった。
人が暮らすにはどうしても木を切る必要があり、空気や水も汚してしまうことなる。
生活を営みながら、汚染を拡大させないための工夫と配慮が誰にも求められるという町民の主張に、芸能事務所の担当者が心から納得したのは意外ながらも頷ける。
やや軽薄なところは見られながらも、真摯に向き合おうとする彼らの姿には好感が持てた。
ただ、濱口龍介監督作品はやはり役者の演技が苦手だと改めて感じた。
極力感情を排した話し方をさせて、リアリズムを持たせたり、先の展開を読みづらくしたりする意図があるのかもしれないが、あまりに棒読みで逆にノイズになっている。
どの登場人物もとってつけたような話し方なので、絶妙に感情移入しづらい。
対照的に血気盛んな若者もいたが、それが何に活きてくる訳でもなく、奇妙なキャラクター配置だった。
村長と芸能事務所の男性マネージャーからは、いずれもチャーミングな情熱が感じられた。