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悪は存在しないのRKのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.5
悪は存在しない

感想メモ


・自然、バランサー、そして人間
この3者がいるのではないか、と感じた
自然とは無論、森や木、鹿とか。
バランサーが花、先生、先生の息子、花のお母さん。
人間が、無論、巧を含んだ登場人物たち。

バランサーは、自然と調和を図るべく、音楽を奏でる。お母さんのピアノ、先生の息子のナントカカントカとかいう楽器。
映画の音楽も、もしかしたら彼らが奏でているものかもしれない。

・先生の存在
行方不明になった花をなぜ探さない?それはつまり、花の正体、およびいなくなった理由を知ってるから?つまり先生も、人間ではない。
(逆を言えば、必死で探している巧は人間。)
多分音楽家の息子も人間じゃない。そういえば、音楽を奏でる人は、直接は出てこない。映画の演奏者だから?鳥の羽が楽器になる、のもバランサーっぽい。

・2体の鹿
森の中で花が出会った2体の鹿(2体いたように見えた)
ラストも出てくる。同じ鹿?

・音楽ぶつ切り
冒頭の木の煽りなど、心地よい音楽、バイオリンが流れる。自然との調和を一瞬感じる。がしかし、ぶつ切りで終わる。めちゃ違和感。これらつまり、いくら調和していると言っても、結局音楽も、人間が奏でるもの、という意味?つまりバランサーも、自然物にはなれない存在。精霊?どっちつかずのはみ出しもの?
音楽=バランス=自然と人間のバランサー

・お母さん
あるいは死んでないのかも
お母さんと華はどちらもバランサー。
(演奏者の母は映画音楽担当だから、画面には出てこない)
たまたま人間の巧が移住してきて、なにかしらで仲良くなって一緒に暮らす。

・花の存在
バランサー。
狩猟で傷つく鹿を癒す存在?
あるいは成仏させる存在?
その代わり代償を負う(鼻血)
しかしその役割は気づかれてはいけない。我々は彼らバランサー活動、つまり人の悪の火消し活動を「盗み見る」必要がある。
下記に詳細を書く。

・悪は存在しないというタイトルの意味
そもそも自然世界には悪なぞは存在しない。淘汰、食物連鎖、があるだけで、そこに善も悪も無いことは自明である。悪とは人間専用の概念である(概念そのものも人間が言葉によって誕生させたものである、という指摘は一旦受け流す)
つまりこのタイトルの悪は、やはり人間の悪なのであって、それが「存在しない」とはどういう意味だろう。
これを考えるにあたり僕が気になったのは、巧のセリフだ。「バランスが大事」的なことを言っていたと思うが、これが大きなヒントだ。バランスという概念も、本来自然世界には存在しない。だって動物たちは、バランスなんて考えたうえで生活しているわけがないのだ。「結果的に」バランスが取れているだけであって、「バランスを大事にしよう」と思って、鹿が草を食べるのを控えるわけがないだろう。つまり巧の言う「バランス」も、専ら人間目線の概念、言葉だ。
これらを踏まえて、僕が今回この映画に感じたテーマは下記である。

「人間の悪によって崩れたバランスを、【何かが】存在させなくする話」

その【何かが】こそ、バランサーたち。(またそれを補佐する巧)。巧は、もののけ姫でいうアシタカ的役割で、バランサーと人間の、さらなる媒介者。
つまりこの映画は、
「あなたたちが生み出す[悪]を、帳消しにする役割がいたとしたら?」
という「もしも話」なのではないだろうか。

普段、何も考えず「悪」を生み出す我々。そんな太々しい我々は、
「お前たちは悪だ!」
と指さして強く弾劾されるよりも、
バランサーたち(華や巧)の影なる火消し活動をこっそり盗み見たうえで、「大丈夫。悪は存在しないよ」と静かに言われる方が、よっぽど自らの[悪]について、観客は猛省し、自分ごと化して考えるのではないか?

・高橋はなぜ生きている?
最後、あいつが生きていた意味は?殺されなかった理由は?
あれこそが我々観客のメタファー?
この物語を目の当たりした上で、ちゃんと生きていけよな。という意味?
この尊さ、超越的な尊さを身に染みさせて生きていけ、という意味?
RK

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