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悪は存在しないの遊のネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

グランピング説明会で勃発する都会VS田舎のクリシェは「よそ者じゃない奴はいない」「バランスが大事だ」という巧の一声で早々に終了し、人と人はその属性に関係なくコミュニケーションに魂を注いでいかなければならないのだといういつもの濱口節の予感がやってくる、そうだ、そうなってからのコミュニケーションを観たいといつも思っているんだと頼もしさを覚える、中盤に差し掛かるとまたいつものように客席が爆笑するようなコミュニケーションの失敗も描かれる、珍しく常識的な長さとハッピーアワーのみんなと再会した嬉しさも相まって心地よい満足に浸っていると ラストでクーーーンと突き放される
コミュニケーションなんてなんの意味も価値もないと感じさせる、濱口があえてそんな終幕を用意したのは、それこそが最終的な救いであるからだろうと思う、思うことにした どんなに頑張ってもコミュニケーションというものは上手くはいかないという現実に対する、でも別にそれってなんでもないことなんだよという救い 「宇宙のこと考えてたら、自分の悩みなんてちっぽけに思えてくる」の類のやつ


多様性の尊重を主張する人々に対して、「多様性を受け入れたくない人々を認める多様性は?」と反論する人たち、屁理屈のようにも思えるけど無視はできない一理があって、確かに「多様性の尊重(だけ)は絶対に正しい」という主張は「みんなで足並みを揃えたい」という価値観を切り捨てる、じゃあどうすればみんなで幸せになれるのと言ったら結局「バランスが大事」ということになって、そこまではみんなすぐ辿り着く でも結局バランスなんて一生とれない なぜなら多様だから 世界は多様である、というその事実が有るだけで、多様さを尊重することも足並みを揃えようとすることも、どちらも善でも悪でもない そういう意味での「悪は存在しない」だと思った、もうここずっと大流行の《正義の反対はもうひとつの正義★》っていう多様性尊重観点の「悪は存在しない」ではなく(濱口が今さらそんなフェーズの話をするわけがない)、多様性が良いとか悪いとかそんなのマジでないのだよというレイヤーの「悪は存在しない」

ただそこで「全部どうでもいいんだよ」を虚無感のほうに持っていかないところが濱口の本当に本当に本当に良いところ、世界と人に対して持っている物凄くデカい愛なわけで、それでも最後までコミュニケーションを頑張って死んでいこうねって言っている あんなラストでも だってこんなにたくさんの人があの不可解なラストの解釈を必死に考えて発表しあっている、これがコミュニケーションでなくてなんであろうか?濱口本当にいつもありがとうね

書いてて思ったけど、多様性尊重派とアンチ多様性派が共存するための弁証法的な解決策は「個人と個人の間に違いや差なんてまったくない、全個体はまったく同じ、自然/宇宙の規模で見ればね」という感覚を全員でインストールすることなのかも 取るに足らない差、差とすら言えないもの 差なんて存在しない バランスなんて存在しない ただただ「全員がひとしくよそ者」であるだけ
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