このレビューはネタバレを含みます
※難解であれこれ考え込んでしまって…一旦散文だけれど、今の精一杯を記録しておく。
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◆そもそも悪って何だ?
考えあぐねて辞書を引いた。よくないこと…なるほどw…
鑑賞後、不意に哲学者となったわたしにwそれは何にとってだ?という疑問がわいてきた。
本作では複雑な現実が描かれる。
グランピング場建設の説明会のためやってきた高橋と黛は、一件すると分かりやすい悪者に見えたが、その実、会社の指示により役目を担っていたに過ぎない。
人に善悪があるのではなく、立場で意味が生じる…変わらないのは事実だけ。
説明会で無知を諭された2人は、便利屋=巧の助けを借りながら、街を理解しようと努めていく。人の悪意は一蹴され、歩み寄りの可能性が示されていた。
◆悪って何だ?
悪の説明の一つが目を引く。
不調和…調和していないことは悪なのか、と衝撃を受けた。人の意思の範疇を超えているものだったから。
巧は、やり過ぎればバランスが崩れると警告する。物事はつながり合っていて、決してお互い無関心ではいられない。
清水を使ったうどんや雉の羽のエピソードは、人と自然の端的な接点を示す。
また巧が薪割りをする森だと思っていた場所は、反対側から見れば、車道の目の前で、花は牛小屋を出て、フンの山を通り抜け、アスファルトの道に出て、草むらへと分け入る…文明と自然は地続きだ。
また本作の会話は、後で意味がわかる台詞が多い。物事がつながり合っていることが何重にも示唆されていると感じた。
◆あの出来事について
巧は、バランスを重視する。議論の場でも、感情的になった仲間を制し、本人は賛成でも反対でもないと言う。また彼は意見を言うのではなく事実を示す。
片方に触れかけた針を元に戻すような彼の振る舞い、森に対する深い知見、淡々と薪割りをこなす姿に、断定口調も相まって、
わたしは巧に、自然と重なるような、超越的な雰囲気を感じていた。
一方の高橋は、言葉を重ねても、終始一方的な物言いになってしまっており、また相手の意図を汲めず、
本人の意思に反して、自然や町とつながり合えていなかったように思えた。
「半矢の鹿」は人を襲うことが予告されるが、それは妻を失っている(欠けたもののある)巧や、ストレスを抱えて町にきた高橋や黛にも当てはまるものか…
花と鹿が対峙してしまったことは、悲劇なのか、奇跡なのか、はっきり分からないけれど、
巧の行動は、あの瞬間保たれていたバランスが崩れようとしたため、それを取り戻そうとする振る舞いだったのではないか。
あまり感情的な納得感はないのだが、意思を超えたところにあるものにこそ、自然そのものが現れてくる気がした。
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・説明会のプロモーション映像から花の散策に切り替わる流れが好き。
手を加えられたものが嫌いというより、意思や感情をコントロールされることに強い抵抗感を覚える。
花の足元が映ると、ふっと画面が澄む。それでいて五感は豊かさを得る。
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ルック1.0美しく、不穏で、シンプルで、複雑w
シナリオ1.0結末のインパクトに反して、清々しさや背反する感情を一緒に持ち帰った。
役者1.0たしかに皆あの世界に生きていたと思える。
深度1.0鑑賞してから、ずっと考え続けてしまっている…汗w
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5/3追記
腑に落ちた…たぶん汗
※以下自分の整理用のメモ
これまで、バラバラの要素だったものが繋がった気がしたので書いてみるが、こうやってまとまることにあまり意味はないように思えてきた…仮に読んでも、おそらく鑑賞後に抱いたであろう様々な感情たちに影響しない…
・花は夢で、巧と共に水飲み場にいて、対岸に2頭の鹿を見つける。見つめ合う2組は、鏡合わせのようだった。
・花が鹿に襲われる危機に面し、半矢の鹿の親たり得る巧の怒りや、自然的な本能がきっかけを生み出した高橋に向いたのか。やはり感情的に納得することはできないが汗
・高橋もまた半矢の鹿か…居場所を追われた鹿に逃げ場はない。※タバコの煙のメタファー…答えていたのか。
・花もまた半矢の鹿の親子に対峙する。巧が説明会の場で、高橋たちに敵意がないことを示したように、花もまた帽子を脱ぐが…鹿=自然の中にもちろん悪は存在しないだろう。
・霧が辺りを包むのは、自然的な行動に対し、意思が見通せないことを示唆するのではないか。朧な月夜を息を荒げて走る巧の姿が彼の属する世界を暗示するよう。
・黛は手傷を負い、捜索から除外される。窓辺から時間が経つのを待つしかない後ろ姿から、拒絶を感じる。
・畏敬の対象でもあった自然の不条理を受ける高橋たち。これまで自然を利用し、破壊してきたかもしれない住人たちとどこが違うのか…たぶんそんなに差異はなく、それが偶然起こったということなのだと思う汗
・生き物であるわたしたち人間も、須く自然の枠組みの中に組み込まれている。自然は調和するだけ。確かに悪は存在しない…