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悪は存在しないのthornのネタバレレビュー・内容・結末

悪は存在しない(2023年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

関係ないとしか思われない、二つの出来事の因果関係を解き明かそうとしている?

どこが行き当たりばったりな感じが逆に新鮮。コントロールフリークのごとく細部までコントロールされたような作品が濱口映画だと思ってたので、なんかふつうの日本映画みたいだ、と思った(変な感想だけど)。

寝ても覚めてもが、愛を中心に人物が振り回される物語だとしたら、この映画は自然を中心として人物が理不尽に振り回される話ともいえる。それは、自然災害のようだ(そして、いうまでもなく自然災害には悪は存在しない、というか、自然を無碍に開発する人類が全て悪い)

ダムを開発することにより、洪水が起きるように、環境破壊により人間関係が破綻することだって起こりうるのかも知れない。関係だけではなく、一人の男の心が破壊されることも。

巧はなぜ記憶を失うのか。襲ってくる鹿をなぜ受け入れたのか。60年代のゴダールみたいだった。

資本家を自然が襲いかかる構図は宮沢賢治のオッベルと象のようだけど(なんだかケリーライカートのようだよね)、中盤あたりでラストがどんなふうに終わるかわかってしまうのが虚しい。ラストにネガティブな余韻が残るのが濱口映画で珍しいな、と思った。

人物の自然な話し方や仕草は本当に魅力的。安っぽい芸能事務所の感じとか、現代の薄っぺらな多角経営の杜撰さはリアルで逆に面白かったし、ハリボテっぽさが逆にリアルで良かった。

安っぽい東京の芸能事務所と、大自然の鹿を対比させるって、すーごくわかりやすい。逆にこういうベタでわかりやすいのはとても好きです。ムードから醸成する何かを捉えるという意図があれば、それは理解できる。軽薄な社会化された人々と、得体の知れない自然の鹿。鹿の目が怖いんだよね。

水を汲むのも、タバコを吸うのも自然破壊なんですよね。バランス、という彼もなかなかに傲慢で、そこは魅力的でした。(まるで古い西部劇の、悪漢のよう)

悪は存在しない、というよりも人間存在はすべて悪だという開き直りのようにも感じて痛快。そもそも全てが悪なら悪という概念は存在しませんから。ラストで理不尽に全部台無しにするのとか、どこか寝ても覚めてもを思わせる。

巧はあの世界の媒介者なんでしょうかね。バランサーというか。裁判官?彼に意志を感じないんですよね。なんか不気味。最後に男を殺したのも、殺されそうな娘を放置するのも、記憶を失うのも、いや、記憶を失うのはむしろ、彼がただのツールだから(便利屋、とはそういうことなのか)なのかもしれない。薄気味悪い、が自然そのものへの畏怖を感じます。体が勝手に動いただけで、意思を感じない。クローネンバーグか?(笑)

これはホラー映画なのかもしれないと思った次第。正面から捉える人物の顔が怖い。物語が予定調和でも、見え方だけでこんなに意外性があるのは逆にすごいのでは?とも思う。まるで昔話のような、昔から使い古されてる話ですよね。

巧、高橋たち、子供はそれぞれ、監督、俳優たち、映画にも置き換えられそうでもある。最後俳優を理不尽に意味のわからん理論で殺し、死にかけの映画を大事そうに抱えて去っていく監督。なんか愛おしそうなんですよね。

最後の巧の後ろ姿のぶっきらぼうだけど、優しい感じがとても良かった。

露悪的で滑稽かつとても意地悪な感じが全体を覆っている。人を食ったようなカメラワークが斬新さよりも、むしろユニークなユーモアを生んでいた。

監督はきっと観客が「悪は存在しないを一枚」といってチケットを買うところまで計算してる気がします。イジワルさに敬服。

それにしても、ふつうの日本映画とはいっても、ここまでぶん投げるのは伊藤潤二の不条理な短編を思わせないだろうか。まさにぶつ切り。
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