善と悪は存在せず、全ては絶妙なバランスの上に成り立っている
■ 感想
3時間近い「ドライブ・マイ・カー」はなかなか手出しできず、本作が初濱口竜介作品の自分にとって、『こんな始まり方でいいん?』 という驚きから物語が始まりました。
セリフは棒読み。そして、なかなかストーリーが起動しない。
快と不快。森の静寂から、耳をつんざくチェーンソーの爆音。そしてまた水くみの静寂、そして車の騒音という、快と不快が交互に織りなす展開。
音楽と無音。もともと音楽用の映像として始まった映画らしく、石橋英子さんの音楽に惹き込まれると思いきや唐突な無音。そしてまた音楽。
『これはなかなか一筋縄ではいかない映画だな。』
冒頭のシーケンスから心が掴まれる映画でした。
静かな森の町に、芸能事務所がコロナ補助金目当てにグランピング施設を作る。業者と居住者たちが対立する映画かと思いきや、どちらも相手に歩み寄るところもあり、まさに『悪は存在しない』展開。
なかなかストーリーが起動しなくてどうなるんだろうと思っていたら、説明会の辺りからグイグイ引き込まれて、気がついたら終わってました。
(物議を醸している?)ラストの二段階の唐突感。1つ目は色々と伏線もあったので理解できましたが、2つ目はかなり余白が大きくなっていて、皆さんで想像してくださいというスタイルでしたね。(私の感想はネタバレ警告後末尾に)
物語の舞台、長野県水挽町(空想の町)は、移民者が開拓した町。
説明会では、『もともと俺達全員が外から来たようなモンだ。頭ごなしに反対するつもりはない。全てはバランスなんだ。』 という趣旨の発言があります。
そう、森の湧き水も、野生の鹿も、そこに住む人間たちも、全ては微妙なバランスの上に成り立っているんだ。そこに悪は存在しないんだと。
そんな ”絶妙なバランス” が少しでも崩れ始めたらどうなるのか。高いジェンガの積み木の塔から一本積み木が抜けたら塔はどうなるのか。この映画はそんな映画だったように思います。
■ 映画について
さすが世界で勝負ができる監督の作品。落ちていた木の枝をナイフで尖らせたヤリのように、全く無駄がないシンプルさと人の心に刺さる狂気性が両立していました。
他に類を見ない作品でしたが、いくつか最近の映画の中から似たものをピックアップします。
『ヨーロッパ新世紀』
https://filmarks.com/movies/102733/reviews/163146280
ルーマニアの田舎町、トランシルヴァニアを舞台に繰り広げられる対立劇。コロナ後EUの支援金を受け取るためにパン工場を拡張して移民を受け入れたことで対立が激化する。森を舞台にした物語であることと、不思議なオープンエンドであるところが似ている
『理想郷』
https://filmarks.com/movies/105701/reviews/164162981
スペインの山あいの村を舞台に繰り広げられる対立劇。風力発電の誘致によって補助金を得たい村民と、外部から豊かな自然目当てで移住してきた家族が対立し合う。
『ゴッドランド』
https://filmarks.com/movies/108106/reviews/173100375
自然にとって人間なんて取るに足らないちっぽけな存在、という類似性でピックアップ。ゴッドランドでは死んだ馬が白骨化していく様が象徴的に描かれますが、本作でも鹿の死体が象徴的に使われます(どちらも本物)
また、本作『悪は存在しない』で背筋がゾッとしたカットとして、死んで横たわる白骨化した鹿の目線にカメラが置かれ、まるで生きているかのように横を通り過ぎる人間の背中をただ映し続けるシーンがありました。
森全体が生命体であり、そこに移り住んだ人間が異物なのだという神の視点でしょうか。
■ 上映館少なすぎ問題
今回、尖った作品を上映し続けてくれる大阪のナナゲイ(第七藝術劇場)で観てきましたが、上映間もないGWの休日ということもあると思いますが、劇場は満員で立ち見が出るほど。
そもそも関西は東京から一週間遅れでしたが、この全国での上映館数の少なさは何なんでしょうね。観終わったらまた行列が出来ていて、配給側が集客を読み違えているようにしか思えませんでした。
こういった作品を多くの映画館で上映し続けないと、日本の映画産業自体が先細っていくような気がしてしまった一日でもありました。
(追記:あえてのミニシアター戦略だったと知りましたが、感想はあまり変わらず・・)
(以下はネタバレです)
↓
↓
↓
↓
↓
↓
巧の娘、花ちゃんについては、勝手に一人で森の自宅へ帰宅してしまうとか、棘のある樹木の話とか、落ちている鳥の羽根(一人で森の奥に入らないようにね)のくだりとか、手負いの鹿の話とかで、だいたい想像はつきました。
でも、その後の首絞めは唐突で驚きました・・・ 『え?なんで?って』
一瞬、花ちゃんも巧が殺していて、高橋をその犯人に仕立てようとしたのかと一瞬思いましたがそんなはずはなく、
劇中に与えられたヒントから消去法的に考えても、鹿に襲われて倒れた娘を見て、『こうなったのはお前らのせいだろ』ってことでカッとなって発作的に首を絞めた、ぐらいしか考えられないかなぁと思いました。
まぁ、首を絞められた高橋もその後一時的に立ち上がっていたのであまり深く考えなくていいと思うのですが・・
高く積み上げられて絶妙なバランスを保っているジェンガのタワーが、ちょっとしたバランスの崩れで大崩壊を起こしてしまう。映画全体の主題が”バランス”であるとすれば、唐突な終わり方も腑に落ちるところはありました。
面白かった!。「ドライブ・マイ・カー」も時間あるときにちゃんと観よう!