『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介作品。
長野の山間の小さな村で、自然に踏み込み、商業目的の施設を作ろうと計画している企業と地元住民が対立し、その行方はどこへ向かうのか、、?、ってシンプルなストーリーかと思っていたら、全然違った。
で、、ドップリと映画の中に没入する大傑作です。
ただ、事前情報を抜きで観ないと本作品のクオリティは発揮されません。くれぐれもその点にはご注意ください。
加えて、この映画の受け取り方は十人十色で正解はありません。
なので、友達と一緒に観て、鑑賞後に酒でも飲みながら語り合うには最高の映画です。かなり酒が進むと思います🍺🍷🍶
以下、感想は盛大にネタバレを書いてます。鑑賞予定の方は絶対に読まないでください。
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物語の起承転結の“起承“の部分がすご〜く引き込まれて面白くて、ケラケラ笑えるシーンもあったりして、ほのぼの系の映画と安心して観ていました。
ただ、音楽だけが不穏な雰囲気を醸し出していて、違和感を感じていました。
その違和感は、物語の“転“の部分の余震であったことに後から気が付きます。
そして物語の“結“、本震はいきなり襲って来た。
えっ!?!?、って声に出して、驚き、
なに???、って感じで、訳も分からずあっという間に終映でした。
驚いた。衝撃だった。身体が震えるほどの衝撃だった。
で、、ラストシーンで、この映画のキーパーソンは人間ではなく【鹿🦌】であったことに気が付く。
花ちゃんは、鹿の親子に遭遇し、親鹿が怪我をしていたので助けようとした。
だけど、手負いの親鹿は彼女を外敵と判断し、襲い、、二人が発見した時、花ちゃんは既に死んでいた。
それを直接的に表現せず、抽象的に表現したものが、鼻血を垂らした花ちゃんの、あのラストシーンです。
そして鹿の親子は主人公親子の比喩でもありました。
父親があの男(外敵)を殺したことがそれを表していました。
それとも実際には父親は男を殺してなくて、あのシーンは鹿が花ちゃんを殺したことへの比喩なのか?
、、というのが、自分の解釈です。
自然界から、人間界を覗いた場合、
悪は存在しない。
そこにあるのは本能だけ。
だけど、反対に、人間界から自然界を覗いた場合、
本当に、悪は存在しないのか???
鹿、、鹿の悲しい目が、鹿の親子の悲しい目ばかりが目に焼き付いています。
大傑作。