寝耳に猫800

悪は存在しないの寝耳に猫800のレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
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ストーリーから距離を置いた、音楽的な、より純粋に言えばメロディというより「リズム」の映画だと感じた

人物の抑揚のない発話、巧の「お」という相槌、雪や草木を踏む足音、チェーンソーや薪を割る音、銃声(そういえばどうして銃の音は「声」なんだろう)、人が振り向いたり何かを口に入れたりするタイミング、全てがこの映画の「リズム」に服しているように思えた

もちろん、そのリズムを作りだす主たるものは「編集」だと思うが、途切れのないワンシーンの中に複数の人物や環境音が存在しているものを編集することはできないので現場での演出も関係しているはず、ストーリーには終わりがあるが、リズムには終わりがない、だからずっと観ていられる

ストーリーは映画を支える根幹ではないという思いがひしひしと伝わるが、役者や観客が映画を見失わない程度の筋はある、完全なる推測だが、この映画を作った人は、ストーリー/言葉は飛行機で言えば「助走をする滑走路」のようなものにはなれど、肝心の「飛んでいるところ」はストーリー/言葉以外に「映り込んだ何か」が担っているという確信があるのだと思う、そのことに映画を作る意味があるのだと

人物の受け答えや返事に関しても、観客がいちいち「ん?」となるものが結構ある、これが映画への関心を保つ一翼になっていると思う、これは絶対意識的にやっている、濱口映画恒例のフラットな発話方法だから余計目立つ、まず、劇中何度か、「ありがとうございます」「すみません」の使いどころが妙なところがある、パッと思い浮かばないが「そんな返事する?」みたいな応答、そして主人公の巧は説明会においても徹底してタメ口のぶっきらぼうな言葉、巧、本当は人じゃなくて鹿なんじゃないだろうか?(これは結構言ってる人多そう)

自然との共生だとか、東京の人間による地方の勝手な開発事業だとか、実は東京の人間もその開発事業を嫌々やっているという本音と建前だとか、都会の人間の軽薄な自然への憧れだとか、そういったテーマ的なものでこの映画を語ることもできるのかもしれないが、そういう面ではそんなに目新しさはないし自分はあまりしたくない

実際、東京から来たグランピング事業担当者による地域住民への説明会など、話している内容をテキストにするとただ単に聞いたことのある対立に収まってしまうが、地域住民の発話の仕方や観ているこちらが耐えられなくなるそうな間など、スクリーンには確かに真新しくも身に覚えのある緊張感が漂っている

映画の後半、緊張感が高まっていく中で、「段になった」小川が上から下に流れていくショットが挿入される、もちろん、地域住民説明会での区長のセリフを受けたものだが、映画にテーマ的なものがあり、かつ、それが映像表現とシンクロしている部分があるとすればここだと思う、これは絶対に、なだらかな川の水がそのまま下流に流れていくショットではなく、川に段がついていて水が垂直に落ちる運動がないとダメ、ポン・ジュノ『パラサイト』において、大雨で階段の上から下に水が流れていく奇跡のシークエンスを思い出した

石橋英子からの企画発案ということもあり、音楽も素晴らしい、物語を映画(映像と音、それも映画館)で見ることの意義をまたひとつ見せつけられた

追伸 :ワンシーンワンシーンを切り取ってみると、実は、濱口竜介って日本の映画作家の中でけっこうコント作家に近いものを持っているんじゃないだろうか、全体を支えるストーリーに重きを置かない代わりに、そのシーンそのシーンをどう面白く見せるか、みたいなものの中で、設定、対立する人物、チグハグの受け答え、そして真顔、というのは、かなりコントっぽい、それはもちろん住民説明会のところもあるが、自分が感じたのはうどん屋のシーンと芸能事務所の二人の車の中

追伸2:その日の夜に早稲田松竹レイトショーでゴダール『軽蔑』を観たのだが、音楽の使われ方(象徴的な音楽が反復する)がとても似ている気がした