レインウォッチャー

悪は存在しないのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.0
まず、際立つのは音である。
石橋英子とジム・オルークらによる、忘れられた淵で静かに逆巻く水流を音で掬ったような劇伴はもとより、物音の制御が細かく、明らかにデザインされている。雪を踏む足音、息遣い、銃声の遠鳴り、話し声の音量。音楽は何度も途中でブツ切られる。そして、冒頭近く主要人物の一人である巧(大美賀均)がふるうチェーンソーや斧の、「迫る」音。

巧は8歳の一人娘・花(西川玲)と自然に囲まれた小さな町で《便利屋》として暮らす寡黙な男。
彼のチェーンソーは木材を丸太に、斧は丸太を薪に変える。その際に出る音は、ぎりぎり耳障りと思えるほどに近く・鋭く・重く、もっと言えば《暴力的》だ。チェーンソーの刃が入る時、カメラは刃先の方に置かれていて、眼前に突きつけられた営みとしての暴力の形に怯まされる。

巧は決して荒々しい印象の男ではない。しかしだからこそ余計に、ヒトは連綿とした歴史の中で自然からの恩恵を刈り取って生きてきたことを無意識の下から思い出させるようだ。このことは、山の湧水やオカワサビを料理に利用したり、鳥の落とした羽根がお土産になったり(チェンバロの撥弦に使われる)…といった、巧と町の人々の暮らしの様々な描写でリフレインされる。

物語は、そんな町にグランピング施設の導入を企画する東京の企業が踏み込んでくることによって動いていく。
町民向けの説明会が開かれるものの、明らかに補助金目当てでスケジュール優先の事業計画、地元への影響について考慮不足の企画内容などが浮き彫りになり、巧をはじめとする町民たちは抵抗を示す。

企業側の人間は、初見では笑っちゃうくらいベタに「いけすかない都会人」らしいのだけれど、そこは流石に濱口竜介監督、単に彼らを悪として二項対立、からの自然&田舎の人情礼賛、みたいな安直な方向には導かない。

彼らの背景もきっちり時間を割いて描写され、そこから理解る苦労や人間味には共感を覚えるし、何より町民側も決して《善》とはいえない。
そもそもわたしが、田舎とか自然に近い暮らしこそがピュアで美しい…なんてこれっぽっちも信じてないし憧れもない人間だから、ってのもあるかもしれないけれど、説明会の場面で大きな声に乗っかって後からドヤドヤ言い出したり、「絶対悪いことをする客が出てくる」とか決めてかかる町民連中のほうが寧ろイヤだなって思ったりもして。

まあそれはそれとして、物語は「町民側」と「企業側」という二者のギャップや歩み寄りを描いていく人間ドラマ…のように思える。しかし間もなくして、これは大きな錯覚であったことに気付かされる。
わたしたちが、そして「町民側」「企業側」いずれも忘れていたもの。

思えば序盤からして、それは予告されていた。「巧さん、忘れすぎですよ」と投げかけられた言葉。説明会というオトナ同士の話の場から、ガラス窓で締め出された者の存在。
巧が「ここは開拓地であり、誰もが他所者なんだ」と言った言葉がすべてだ。町民側はまるで自然・環境の代弁者のようにも見えるけれど、上述したように彼らもまた自然からの施しを利用して生きている存在であり、自然そのものから見れば単なる《寄生者》かもしれないだろう。

故に、この映画からはヒト自体がもつ、離れられない傲慢さの姿が見える、と思った。
このことは、極めて映画的な方法で残酷に表現される。終盤にとある事件が起こって、それまで随所に積みあげられていた不安の種が死の気配として結びつき、不穏さがいや増していく。陽は落ち、あたりは暗くなる…そのとき周りを取り囲むその山や森の風景は、あまりにも「美しい」のだ。

いくらヒトが恐れや絶望を感じていたとしても(もちろんその逆でも)、自然はまったく関係なく独自のサイクルを続け、変わらず美しく、そこにあり続ける。人間が、自然の恵みに感謝を忘れず、とか、一体になって暮らす、なんて思いあがりの嘘っぱちにも程がある。そんな冷たく透き通った刃が、あらゆる人の胸に音もなく刺し通る。

「水は上から下に流れる」。
これは、説明会の場面で町の長老的人物が放った言葉であり、今作の肝ともいえるフレーズだ。その時点では、誰もが上=企業や行政といった上流の人間、下=地元や市井の人間、というイメージを重ねるだろう。しかしそれはヒトの世界に閉じた上下でしかなく、誰もがさらに「上」、あるいはさらに「下」にあるはずのもののことを忘れている。

映画の中でも、この《上下》のベクトルはアングルによって幾度となく表現される。まさに下へ流れていく水、空から落ちる鳥の羽根などもあれば、頭上を仰ぐ者や立ち昇っていく煙。そして、あの鹿の死体からまるで見上げるような視線など…

そして、下に流れた水もやがてはまた空に上がり雨と降るように、冒頭と結びは円環構造(※1)のようなリンクを見せる。
徹底して極めて映画的な文法の中、多すぎない言葉と豊かで薄寒くもある余白で語ってみせた作品だと思う。仮に、映画のもてる機能の一つとして「気づいていなかった新たな視点を与えること」があるとするならば、今作は見事な映画というほかないだろう。

-----

※1:頭上の枝葉を見上げながら進んでいくような映像、ずっと観ているとこれが果たして上なのか下なのか?わからなくなってくるように思えた。眼下の水面に映った像でないと、どうして言えるだろう。
上下はない、同様に、善悪も存在しない…というか、ヒトの設けたそれらの基準は、時に意味を成さない、と受け取った。