ひでを

悪は存在しないのひでをのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
4.1
非常に分かりやすい対立構図で進んでいたが、グランピング部隊が再度訪問するあたりからラストで一気に目が覚めた。

冒頭から巧の生活がドキュメンタリーを思わせるようにじっくりと映し出されて、どんな場所に住んでいるか、この暮らしをずっと地道に続けてきたことが分かる。物語はその巧と地元の長・生まれ育った血気盛んな男・移住組の夫婦などと共に急遽立ち上がったグランピング計画に対して向き合っていくことで展開されていく。

田舎に住む人の描き方は割とステレオタイプな感じで、地元住民の懸念に対して十分な対応を行わない芸能事務所に対しての怒りから少し強めな態度を取ったり、「水は誇りである」「上流での行いは必ず下流に影響を与える」「バランスが大事」といった言葉を投げかけていく。水が売りの田舎育ちの自分からすると、まぁ言い分は分かるがここまで立ち向かえる体力がある自治体がどれだけあるのだろうかと思ったり、そもそもこの事業を許可した自治体関係者がいるだろうからそいつが立ち会ってないのもおかしいよな、とか関係ないようなことも思ってしまった。

ただ淡々と進んできた中で、芸能事務所の担当者が東京に戻り、会議をするあたりから2人の視点が加わり少し風向きが変わった。2人も補助金目当ての社長から押し付けられ無理に計画を進めていることが分かり、車内での会話も実にリアルな温度感で人柄が伝わり「悪人」ではないことを理解する。

その後、再び現地を訪れ巧と合流して、無骨で無愛想な対応にやや困惑しながらも高橋たちは土地の魅力を感じ、地元の人たちに寄り添っていきたいと心からの想いをぶつける。巧もそれを少しずつ理解しているように見えたが、「通り道を失った鹿はどこへいくのか」という問いに「どこか別の場所へ」と答えたことで、根本的に相容れないと感じたのだろうか。(この時は少し東京組に同情したまま観ていたので気が付かなかったが、鹿の通り道ならば柵を立てよう、逆に鹿と触れ合えて良い、人を襲わないなら別に関係ないといった類の返答は冷静に考えるとすごく不誠実な回答であった)

ラストシーンはそれぞれで解釈が本当に分かれるだろうなあ。
これでもかと巧≒手負の鹿というメタファーがされる。そこで目の前に現れた手負の鹿の親子と巧と花の親子、そしてこの土地に生活が一変するような影響を与えうる高橋。何らかの悲しい過去を持ちこの地に残るしかない巧、花のことを、いずれ外部の人間は蔑ろにしてしまうだろうという思いが爆発して起こした衝動的な行動だったのかと想像した。

でもなかなかに難しいので絶賛!!という感じではなかったが、ここまで考えさせられてるということは名作なんだろうなあ。
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