終盤、花が行方不明になってから良くなってきたけど良いショットとその他人間の観察としてのカメラとの距離感がどうも合っていない気がする。
運動が撮れているかどうかは横に置いておいて、濱口さんの戦略的な部分は彼にとっては正しい。
カットを割るより役者に向けてその環境で、目で見て、耳で聞いてそこから生成する行動で周りのリアクションを促し、身体性を一定の距離感を持って記録するというのはどちらかと言えば割っていた印象の、ドライブ・マイ・カーや偶然と想像より一定の成果を上げているし、
濱口さんは本質的にショットは撮れない人
夕景で沈む湖畔の水面の反映からパンアップで
森林のショットってダサ過ぎだよ。
フォックスかショットを重ねた方が良い。
パンダウンで花を捉えるショットは良いが本編全体的なバランスを考えて効果があったのかちょっと疑問
(三宅唱の方が撮れる)から戦略的にこの演出は徹底して正しい
けども4.0は超えないね。
一言で言えばいつものように映画である必然性があるかなんだけど、そこが個人的な4.0以上の評価範囲。
ただ終盤はとても良かった。
あとよくこういう話しで「悪は存在しない」というタイトルから巧という人物像を作り上げて、その突発的な裏切りへという「物語り」は素晴らしいと思います。
また本編では関係ないけど補助金(この手は経産省による事業再構築補助金だろう)を使ったグランピングなんてのはよくある実務で事業計画書を経営者の発案をサポートし、(発案は経営者の仕事)書いたりするわけで身に包まれる気分にもなりました。
あんな気まずい説明会やコンサルタント嫌だよね